‐ 華厳経 浄土三部経 法華経 無量義経 観普賢菩薩行法経 涅槃経 般若心経 金剛般若経
摩訶般若波羅蜜経 勝鬘経 弥勒菩薩上生・下生・大成仏経 大毘慮遮那仏神変加持経 金剛頂経
蘇悉地羯羅経 解深密経 仁王般若波羅蜜経 梵網経 維摩詰所説経 法句経 仏本行集経
大般若波羅蜜多経第十般若理趣分 大乗入楞伽経 大方広方篋経 阿闍世王経 文殊師利問経
涅槃経
不老不死、何等の義か有る。
老とは名づけて遷変と為す。髪白く面皺む。
死とは身壊れ命終る。
是の如き等の法、解脱の中に無し。
(何等:なんら、遷変:せんぺん、為す:なす、面皺む:かおしわむ、壊れ:やぶれ、是の:かくの)
ただ文字を知りて未だ其の義に達せず。
法とは常と名づけ、亦無辺と名づく。
思議すべからず、執持すべからず、繋縛すべからず。而も亦見るべし。
若し説きて不可見と言ふ有らば、是の如きの人依るべからざる所なり。
是の故に法に依りて人に依らず。
(亦:また、執持:しゅうじ、繋縛:けばく、而も:しかも、是の:かくの)
一切衆生 悉く 仏性有り
仏性は雄猛にして毀壊すべきこと難し。
(悉く:ことごとく、仏性:ぶっしょう、雄猛:ゆうもう、毀壊:きえ)
利養を為ての故に文に随いて説く。
是の如く説く者を、名づけて悪人と為す。
(為て:もって、文:もん、是の:かくの、為す:なす)
智者も亦しかなり。凡夫の中に於いて身命を惜しまず。
(亦:また)
如来常住にして変易有ること無し。
(変易:へんやく)
福尽是命尽に非ず
命尽是福尽に非ず
(是:これ、非ず:あらず)
如来一切衆生の為に諸法を演説すと雖も、実は所説無し。
(雖も:いえども)
一人の起愛無量無辺なる、声聞、縁覚の知ること能わざる所なり。
(声聞:しょうもん、縁覚:えんがく、能わざる:あたわざる)
下を名づけて喜と為し、上を名づけて楽と為す。
(為し:なし)
我為と言うは一切凡夫なり。
寿命の為にせず、常命の為の故なり。
一切の凡夫所有の身心は自在を得ず、或は身心に随い、或は心身に随う。
(或は:あるいは、身心に随い:みこころにしたがい、心身に随う:こころみにしたがう)
有智の人は智恵力を以って、能く地獄極重の業をして
現世に軽く受けしめ、愚痴の人は現世の軽業、地獄に重く受く。
(能く:よく)
若し業定んで現世報を得ば、則ち生報、後報を得ること能はじ。
(業:ごう、則ち:すなわち、生報:しょうほう、能はじ:あたはじ)
若し諸業定んで報を得と言はば、
則ち梵行、解脱、涅槃を修習すること有ることを得ず。
無明とは即ち是貪の因、瞋の因、癡の因。
(是:これ、瞋:しん)
若し実想を観ぜば、是の人能く一切諸有を断ず。
常、楽、我、浄 。
‐ 華厳経 浄土三部経 法華経 無量義経 観普賢菩薩行法経 涅槃経 般若心経 金剛般若経
摩訶般若波羅蜜経 勝鬘経 弥勒菩薩上生・下生・大成仏経 大毘慮遮那仏神変加持経 金剛頂経
蘇悉地羯羅経 解深密経 仁王般若波羅蜜経 梵網経 維摩詰所説経 法句経 仏本行集経
大般若波羅蜜多経第十般若理趣分 大乗入楞伽経 大方広方篋経 阿闍世王経 文殊師利問経
追記
・・・・・ その時に世尊文殊師利に問ひたまはく、「何の因縁の故に是の大衆の中此の光明有る。」
文殊師利の言さく、「世尊、是の如きの光明、名づけて智慧と為す。智慧とは即ち是常住なり、
常住の法、因縁有ること無し。云何ぞ仏、何の因縁の故に是の光明有ると問ひたまふ。是の
光明は大涅槃と名づく、大涅槃は即ち常住と名づく、常住の法は因縁に従はず。云何ぞ仏、何の
因縁の故に是の光明有ると問ひたまふ。是の光明は即ち是如来なり、如来は即ち是常住なり、
常住の法は因縁に従はず。云何ぞ如来因縁を問ひたまふ。光明は大慈大悲と名づく、大慈大悲は
名づけて常住と為す、常住の法は因縁に従はず、云何ぞ如来因縁を問ひたまふ。光明は即ち
是念仏、念仏は是を常住と名づく、常住の法は因縁に従はず。云何ぞ如来因縁を問ひたまふ。
光明は即ち是一切の声聞縁覚不共の道なり。声聞縁覚不共の道は即ち常住と名づく、常住の
法は因縁に従はず。云何ぞ如来因縁を問ひたまふ。世尊、亦因縁有り。無明を滅するに因りて
即ち熾燃の阿耨多羅三藐三菩提の燈を得。」
仏の言はく、「文殊師利、汝今諸法甚深第一義諦に入ること莫れ(なかれ)。世諦を以って
之を解説すべし。」
文殊師利の言さく、「世尊、此の東方に於いて、二十恆河沙等の世界を過ぎて仏世界有り、
名づけて不動と曰ふ。其の仏の住處は縦廣正等にして一萬二千由延に足満す、
其の地七宝にして土石有ること無く・・・・・・