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摩訶般若波羅密経



菩薩摩訶薩般若波羅蜜を行ずる時、菩薩を見ず、菩薩の字を見ず、

般若波羅蜜を見ず、亦(また)我れ般若波羅蜜を行ずるを見ず、亦我れ

般若波羅蜜を行ぜざるを見ず。何を以っての故に、菩薩も菩薩の字も

性空なり、空中には色もなく受想行識も無し、色を離れて亦空無く、

受想行識を離れて亦空無し。色は即ち是れ空、空は即ち是れ色、

受想行識は即ち是れ空、空は即ち是れ識なり。何を以っての故に。

舎利弗、但だ名字(みょうじ)有るが故に菩提たりと謂ふ。但だ名字

有るが故に菩薩たりと謂ふ。但だ名字有るが故に空たりと謂ふ。

所以は何(いか)ん、諸法の實性は生無く滅無く垢無く浄無きが故に。

菩薩摩訶薩是(かく)の如く行じて、亦生を見ず亦滅を見ず亦垢を見ず亦浄を

見ず。何を以っての故に。名字は是れ因縁和合の作法なり、但だ分別憶想

假りに名を以って説く、是故に菩薩摩訶薩、般若波羅蜜を行ずる時、

一切の名字を見ず見ざるが故に著せず。





法性は得相に非ざる。



衆生畢竟不生不滅。



この智恵を用(も)って能(よ)く一切法を具足すれども亦一切法を得ず。



當に知るべし諸法の名は假の施設なりと。




菩薩摩訶薩般若波羅蜜を行じ、諸法に於いて見る所無し。

この時、驚かず、畏れず、怖かず(おののかず)、心亦没っせず悔いず。




菩薩摩訶薩、般若波羅蜜を行ぜんと欲せば、文字の中に住すべからず、

・・・。何を以ての故に。諸字、諸字の相空の故に。




諸法所有無し、是の如く有り、是の如く所有無し、この事知らざるを

名づけて無明と為す。




是の中に凡夫、無明力を以て渇愛するが故に、妄見分別して、

これ無明と説き、この凡夫二辺の縛する所となる。

この人諸法所有無きを知らず見ずして、憶想分別し、色乃至十八不共法に

著す(じゃくす)。この人著するが故に、無所有法に於いて、識知の見を作す。

是れ凡人知らず、見ず。




禅に入り無量心に入る時、また禅無量心に随って生ぜず。

是を菩薩摩訶薩、無量心を行ずる時の方便般若波羅蜜と名づく。




「云何が菩薩佛に依るの見に著せずとするや。」

「依見を作せば佛を見ざるが故に。」




菩薩もまた難行の心を以って道を行ぜず。何を以っての故に、

難心苦心を生ぜば、無量阿僧祇の衆生を利益することあたわず。




受想行識、乃至一切種智無量なるが故に、般若波羅蜜無量なり。




方便無きが故に高心を生ず。




般若波羅蜜を修する時、智を得ず、修する所の智を得ず

この人は般若波羅蜜を具足することを得(う)




「我れ精進し、この事の為に勤めて精進す」と、これを得精進と名づく、波羅蜜を得ず。

「我れ慧を修す、修する所はこれ慧」と、これを得慧と名づく、波羅蜜を得ず。




菩薩摩訶薩の布施する時、与者を得ず、受者を得ず、施す所の物を得ず



この善男子菩薩乗を行じて、阿耨多羅三藐三菩提に回向する心は是れ縁事なり。




まさに相を取りて諸仏を憶念すべからず、

亦まさに相を取りて諸仏の善根を憶念すべからざるが故に。




般若波羅蜜は見る者無く聞く者無し、知る者無く識る者無く、得る者無し。




一切種智一切種智相空なり。




若し新発意(しんぽっち)の菩薩の前に在りて是の深般若波羅蜜を説かば、

或いはまさに恐怖し呰毀し(しきし)信ぜざるべし。是の新発意の菩薩

或いは是處(このところ)に有らんに、若し新発意の菩薩是深般若波羅蜜を聞き、

呰毀し信ぜざれば三悪道の業を植え、是業の因縁の故に、

久久に阿耨多羅三藐三菩提を得難からん。




仏力の故に悪魔は菩薩摩訶薩の深般若波羅蜜を書し、乃至修行するを留難すること能わず。




若し善男子善女人有りてこの深般若波羅蜜を書し乃至修行するは、

皆是れ仏力の故に、まさに知るべし亦是れ諸仏の護る所なりと。




この法は色を受くるが為の故に説くに非ず、色を捨つるが為の故に説くに非ず。

乃至一切種智を受くるが為の故に説くに非ず、一切種智を捨つるが為の故に説くに非ず。




菩薩道を求むる善男子善女人の有らゆる布施皆相を取り、

有らゆる持戒忍辱精進禅定皆相を取る。ここを以っての故に、

善男子善女人は阿耨多羅三藐三菩提に於いて定まらず。

この因縁を以っての故に、菩薩摩訶薩は阿耨多羅三藐三菩提を得んと欲せば

般若波羅蜜方便力を遠離すべからず。




諸法の実相は説くべからず、しかも仏は方便力を以っての故に説く。

仏の説く所の義、一切法も亦説くべからず。



                       
一切法説くべからず、一切法不可説相即ち是れ空なり、この空説くべからず。




若し菩薩摩訶薩、観空を具足せば、先づ是の願を作さく、

「我れ今空法もて証を作すべからず、我れ今は学ぶ時にして是れ証する時に非ず。」と。

菩薩摩訶薩は専ら心を摂して縁中に繋在(けざい)せず。ここを以っての故に、

菩薩摩訶薩は阿耨多羅三藐三菩提中に於いて退せず、亦漏尽証を取らず。




                                   

我れ一切衆生を捨つべからず、一切衆生は無所有法中に没在す、我れ当に度すべし




諸々の衆生は長夜に我相乃至知者見者相を行じ、得法に著す
(じゃくす)




「是れ般若波羅蜜なり、我れ般若波羅蜜を以って一切智を得。」と、

若し是の如く念ずるを般若波羅蜜を行ずと名づけず。




この菩薩は誓いを結びおわるも、亦衆生を得ず、しかも衆生の為に誓いを結ぶ。




若し如恆河沙等の国土の中の衆生をして悉く魔と為
(な)らしめ、

この一一の魔、復魔を化作し、如恆河沙等の魔たりとも、是一切の魔も

菩薩の般若波羅蜜を行ずるを留難すること能はず。




念を以っての故に、欲界、色界、無色界に著す、念ぜざるが故に、所著無し。




般若波羅蜜は著する処有ること無く、亦著する者無く、自性無きが故に。




諸仏は諸法に於いて、知る所無く、得る所無く、亦法の説くべき

無ければなり、何に況や、所得有るべけんや、是処有ること無し。

(亦:また、何に況や:いかにいわんや、是処:このことわり)




般若波羅蜜中、著法有ること無きが故に。




菩薩は多く学する所有れども、実には学する所無し。

何を以っての故に。この菩薩の学する所の諸法、皆得べからざればなり。




無際これを実際と名づく。



一切法の合せず散ぜざるを知るなり。



諸々の二有る者、是れ有所得なり、

二有ること無き者、是れ無所得なり。



有所得、無所得、平等なる、是を無所得と名づく。



一切諸法は所為無く所作無し



当に知るべし、佛と化佛と差別有ること無しと、諸々の法相異なること無きが故に、



諸法の実相中に入るべし。



名字の相を以っての故に、諸法を示し、衆生をして解せしめんと欲す、

仏は諸法の法相を壊せざるなり。



一相の故に一切種智と名づく



一切賢聖、若しは佛、若しは佛弟子、皆無為を以って義と為す。



無所得は即ち是れ得なり、是を以って得るも得る所無きなり。

(是:ここ)





一切種智は所有無く念無く生無く示無し。



                   
一切種智は無法を縁とし念を増上と為し、寂滅を行と為し、無相を相と為す。



       
 
一切の法は作者無きが故に。

作者:さしゃ)



菩薩摩訶薩は世諦を以っての故に衆生に示す、若しは有なり、若しは無なりと、

第一義を以ってするには非ず。





須菩提、世諦と第一義諦とは異なり無きなり。何を以っての故に、

世諦の如は即ち是れ第一義諦の如なればなり。衆生はこの如を知らず、

見ざるを以っての故に、菩薩摩訶薩は世諦を以って、若しは有なり、若しは無なりと示す。

また次に須菩提、衆生は五受陰中に於いて著相有るが故に、無所有なることを知らず。

この衆生の為の故に、若しは有なり、若しは無なりと示し、清浄無所有なることを知らしむ。





無所得法の布施持戒忍辱精進禅定智慧神通差別有ることなし、

衆生布施乃至神通に著するを以っての故に分別して説くのみ。



菩薩摩訶薩は衆生を度せんが為の故に大悲心を行ず。




一切有為の法は、悉く皆無常なり、誰か常に安らかなる者を得ん。

(悉く:ことごとく)



世諦の故に分別して果報有りと説く第一義には非ず、第一義の中には

因縁果報を説くべからざればなり。何を以っての故に。

この第一義は実に相有ること無く分別有ること無く、亦言説も無し、謂わゆる

色乃至有漏無漏法は不生不滅相、不垢不浄にして畢竟空無始空なるが故に。





衆生は但だ名相虚妄憶想分別中に住す、この故に菩薩は般若波羅蜜を行じ、

名相虚妄中に於いて衆生を抜出す。

(虚妄:こもう)



一切の有為法は但だ名相有るのみ、凡夫愚人は中に於いて著を生ず




「諸々の衆生、この名は但だ空名有るのみ、虚妄憶想分別中に生じて、

汝等虚妄憶想に著することなかれ、この事本来皆無自性空なるが故に

智者の著せざる所なり」




一切法は皆是れ無相なりと知るべし。




この中無智の人は歎ず、未曾有なり、この人は多能にして巧みに衆事を為して

衆人を娯楽せしむ、種々の形色乃至三十二相八十随形好もて仏心を荘厳すと。

其中の有智の士は思惟して言わく、「未曾有なり、この中に實事有ること無し、

しかも無所有法を以って衆人を娯楽せしめ、形相有らしむ、事の事相無く

有の有相無し。」と。




第一義相とは無作無為無生無相無説なり



但だ凡夫は色受想行識に著し、凡夫は色相を取り、受想行識相を取り、

我心有って内外の法に著するが故に、後身の色受想行識を受く。

この因縁を以っての故に、生老病死の愁憂苦悩を脱することを得ずして、

五道に往来す。





「一切諸法の中に定性得べからず、但和合の因縁に従って法を起こすが故に

名字の諸法有るのみ」

定性:じょうしょう、但:ただ)




有仏無仏、この諸法の法相は常住なり。




善法に於いても亦著せず、諸々の善法の自性空なるが故に、空は著する所無ければなり。

若し著すれば則ち(すなわち)味を受く、是空の中に味有ること無し。




世諦の故に説く、最第一義に非ず。

最第一義は一切の語言論議音声を過ぎたり。




この一切の法は皆是れ憶想思惟の作法なり、

是思惟憶想の作法を用っては一切種智を得ること能はず。




「・・諸仏の法を得るは、世諦を以っての故に得るか、第一義中を以って得るか。」

仏言はく、「世諦を以っての故に、仏是法を得たりと説く。是法の中に法を得て、

是人是法を得たりとすべきもの有ること無し。何を以っての故に。是人の是法を

得るは、是を大有所得と為す、二法を以ってするは無道無果なればなり。」




諸法の所為無く所作無き中に分別有ること無く、所為有り所作有る中に分別有り




一念劣心異心を生ずれば、則ち智慧照らさず




- - - - - -


この薩婆若は相行を以って得べからず、相行垢有るが故に。




菩薩摩訶薩、是の自相空の法の中に於いて、着すべからず、動ぜざるが故に。

菩薩亦一切法不二の相を知るべし、動ぜざるが故に、是を菩薩の義と名づく。




一切諸法の相を取らず、相を取らざるに於いても亦着せず。




阿耨多羅三藐三菩提に至るも尚欲せず、

何に況んや餘欲をや。

是を少欲と名づく。

(何に況んや:いかにいわんや)




一切種智を得るのみ。是を知足と名づく。




戒相を取らざる、是を不捨戒と名づく。




第一実義の中には知無く得なく、

須陀おん無く乃至仏無し。





第一実義の中 業無く報無く、生無く滅無く常無く苦無ければなり。




無辺法性を縁ずる




法の衆生と名づくるもの有ること無し、假名の故に衆生と為す。

この名字本法有ること無く、亦所趣無きも、強いて為して名を作す。

(為す:なす、亦:また、作す:なす)




衆生本より已来常に清浄なる




般若波羅蜜は一切法と合するも亦合する所無し。




若し諸法一性謂ゆる無性無起無作なることを知れば

即ち一切の礙相を遠離す。





是の般若波羅蜜は見る者無く聞く者無く、知る者無く識る者無く、得る者無し。





夢中に法の集成するもの有ること無ければなり。

若し覚むる時憶想分別せば、應に集成有るべし。

(集成:しゅうじょう、應に:まさに)





相を取るが故に有縁の業生じ無縁より生ぜず、

相を取るが故に有縁の思生じ無縁より生ぜず。





諸法の所為無く所作無き中に、分別有ること無く、

所為有り所作有る中に、分別有り。





衆生無法に法想有るを以って、我れ其の妄着を除くを以って、

世俗法の故に、得ること有るを説く、第一義には非ず。

(非ず:あらず)





第一義中には言説の道無し





應に一切種智を念ずべし。

(應に:まさに)




一切の法は作者無き





衆生は但だ名相虚妄憶想分別中に住す、

是の故に菩薩は般若波羅蜜を行じ、

名相虚妄中に於いて衆生を抜出す。





諸法は根本の実事有ること無く、但だ名相有るのみ。





菩薩は実際の為の故に般若波羅蜜を行ず。





我我所に住する衆生は垢有り浄有り、実見の者は垢ならず浄ならず





有仏にも無仏にも法性常住なり




-  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -  -



色は畢竟不可得なり



色の常畢竟不可得なり



色の楽畢竟不可得なり                                    





色の義不可得なり、受想行識の義不可得なり、

乃至無作の義不可得なるは、当に是の般若波羅蜜を学すと作すべし。        

(当に:まさに)





法愛生ずるが故に、頂に堕す                               





世俗の吉事を求めて以て清浄と為さず

(為す:なす)





凡人の如きは、苦を説くを聞きて、名に着し相に随ふ。

諸仏及び弟子は、名に着せず、相に随はず。

(随う:したがう)





諸法平等の中に於て動ぜずして、而も諸法を分別す

(而も:しかも)





「云何が菩薩、仏国土を浄むとするや。」

「衆生を浄むるが故に。」

  (云何が:いかんが)




-  -  -  -  -  -  -  -



菩薩摩訶薩は、一切法生ぜず滅せず、

受けず捨てず、垢ならず浄ならず、

合せず散ぜず、増せず減ぜずと為すが故に。

般若波羅蜜を学して、能く一切種智に到る。

学する所無く、到る所無きが故に。




一切法一性にして二性に非ず。

須菩提、是の一法性、是れも亦無性なり。

是の無性即ち是れ性なり。

是の性不起不作なり。

是の如く須菩提、菩薩摩訶薩、若し諸法一性謂ゆる

無性無起無作なることを知れば即ち一切の礙相を遠離す。




不生、不滅、不垢、不浄




深般若波羅蜜を解し、当に一切種智に趣くべし。




菩薩行ずる処 作法無く、壊法無く、従来する所無く、亦去る所無く。

住処無し。是の法数ふべからず、量有る無く、若しは無数無量なり。

是の法得べからず、色を以て得べからず、

乃至一切種智を以て得べからず。




生死の道長く、衆生の性多しと雖も、爾の時是の如く正憶念すべし、

生死の辺は虚空の如く、衆生性の辺も亦虚空の如し、

是の中実に生死往来無く、亦解脱者も無し。

(雖も:いえども、爾の:その、辺:ほとり、亦:また)




凡夫愚人は聖法を聞かず、五受陰、謂ゆる色受想行識に着し、檀波羅蜜に着し、

乃至阿耨多羅三藐三菩提に着すればなり。

(五受陰:ごじゅおん、謂ゆる:いわゆる、乃至:ないし、阿耨多羅三藐三菩提:あのくたらさんみゃくさんぼだい)





菩薩摩訶薩の一切種智を得たる、これを名づけて仏と為す。





第一義相とは無作無為無生無相無説なり





凡夫は色受想行識に着し、凡夫は色相を取り、受想行識相を取り、

我心有て内外の法に着するが故に、後身の色受想行識を受く。

是の因縁を以ての故に、生老病死の愁憂苦悩を脱するとを得ずして五道に往来す。





菩提は是れ不二相不壊相なり。




是れ菩提は非取の故に行じ、非捨の故に行ず。




布施を行じ、饒財を得べくも、亦布施の果を恃みて、自ら貢高する莫かるべし

(饒財:にょうざい、亦:また、恃みて:たのみて、貢高:くこう、莫かる:なかる)




有仏無仏、是の諸法の法相は常住なり。





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