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阿闍世王経 

習とは是れ名と為す。学習する所は是れ色と為す。



習とは有罪を謂う。学習する所は罪有ること無く亦た貢
(おご)り高ぶらず。



一切智とは眼を以って而して之れを視ず。

耳・鼻・舌・身・意も亦た爾(しか)なり。

所以は何ん。諸界を過ぎたるを以っての故なり。


諸法は実には化の如し。


聞く所の法 譬えば一つぶの芥子の若(ごと)きも、能く須弥山の罪を尽くす


人は而も軽んず可からず。所以は何ん。而も軽んずるにより其の罪を得


是の者は罪人、是の者は福人なりと説かじ。

所以は何ん。一切人の行なう所、不可議なるが故なり。


若し百劫にして智恵を行ずるもの有るも、

是の法を聞いて心本とより清浄なりと解せんに、

其の功徳は彼の上に出ず


当に哀れみを天上・天下及び一切に加うべし。


一切の人、本とより悉く浄し。

 

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