妙法蓮華経

 

妙法蓮華経 序品 第一

 

 是の如く我聞けり。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまふ。

 大比丘衆万二千人と倶なり。皆是れ阿羅漢なり。諸漏已に尽きて、復煩悩なく、己利を逮得し、諸の有結を尽くして、心に自在を得たり。其の名を阿若僑陳如、摩訶迦葉、優楼頻螺迦葉、伽耶迦葉、那提迦葉、舎利弗、大目建連、摩訶迦旃延、阿㝹楼駄、劫賓那、僑梵波提、離婆多、畢陵伽婆蹉、薄拘羅、摩訶拘絺羅、難陀、孫陀羅難陀、富楼那弥多羅尼子、須菩提、阿難、羅睺羅と曰ふ。是の如き衆に知識せられたる大阿羅漢等なり。復、学無学の二千人あり。摩訶波闍波提比丘尼、眷属六千人と倶なり。羅睺羅の母、耶輸陀羅比丘尼、亦眷属と倶なり。

 菩薩摩訶薩八万人あり。皆阿耨多羅三藐三菩提に於て退転せず。皆陀羅尼を得、楽説弁才ありて、不退転の法輪を転じ、無量百千の諸仏を供養し、諸仏の所に於て衆の徳本を植え、常に諸仏に称歎せらるることを為、慈を以て身を修め、善く仏慧に入り、大智に通達し、彼岸に到り、名称普く無量の世界に聞えて、能く無数百千の衆生を度す。其の名を、文殊師利菩薩、観世音菩薩、得大勢菩薩、常精進菩薩、不休息菩薩、宝掌菩薩、薬王菩薩、勇施菩薩、宝月菩薩、月光菩薩、満月菩薩、大力菩薩、無量力菩薩、越三界菩薩、跋陀婆羅菩薩、弥勒菩薩、宝積菩薩、導師菩薩と曰ふ。是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。

 爾時(そのとき)、釈提桓因、其眷属二万の天子と倶なり。復名月天子、普香天子、宝光天子、四大天王あり。其眷属万の天子と倶なり。自在天子、大自在天子、其の眷属三万の天子と倶なり。

 娑婆世界の主、梵天王、尸棄大梵、光明大梵等、其の眷属万二千の天子と倶なり。

 八の龍王あり、難陀龍王、跋難陀龍王、娑伽羅龍王、和修吉龍王、徳叉迦龍王、阿那婆達多龍王、摩那斯龍王、優鉢羅龍王等なり。各若干の百千の眷属と倶なり。

 四の緊那羅王あり、法緊那羅王、妙法緊那羅王、大法緊那羅王、持法緊那羅王なり。各若干の百千の眷属と倶なり。

 四の乾闥婆王あり。楽乾闥婆王、楽音乾闥婆王、美乾闥婆王、美音乾闥婆王なり。各若干百千の眷属と倶なり。

 四の阿修羅王あり、婆稚阿修羅王、佉羅騫陀阿修羅王、毘摩質多羅阿修羅王、羅睺阿修羅王なり。各若干の百千の眷属と倶なり。 

 四の迦楼羅王あり、大威徳迦楼羅王、大身迦楼羅王、大満迦楼羅王、如意迦楼羅王なり。各若干の百千の眷属と倶なり。

 韋提希の子阿闍世王、若干の百千の眷属と倶なり。

 各仏足を礼して、退いて一面に坐せり。

 爾時、世尊、四衆に圍繞せられ、供養恭敬、尊重讃歎せられて、諸の菩薩の為に、大乗経の無量義 教菩薩法 仏所護念と名くるを説きたまふ。仏、此経を説き已わりて、結跏趺坐し、無量義処三昧に入りて、身心動じたまはず。

 是時、天より曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華を雨ふらして、仏の上、及び諸の大衆に散じ、普仏世界、六種に震動す。爾の時、会中の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦樓羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人及び諸の小王、転輪聖王、是諸の大衆、未曾有なることを得、歓喜し、合掌して、一心に仏を観たてまつる。

 爾時、仏、眉間白毫相の光を放ちて東方万八千の世界を照らしたまふに、周遍せざることなし。下は阿鼻地獄に至り、上は阿迦尼陀天に至る。此世界に於て、尽く彼の土の六趣の衆生を見、又彼の土の現在の諸仏を見、及び諸仏の所説の経法を聞き、並びに彼の諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の諸の修行し、得道する者を見、復諸の菩薩摩訶薩の種々の因縁、種々の信解、種々の相猊ありて菩薩の道を行ずるを見、復諸仏の般涅槃したまふ者を見、復諸仏の般涅槃の後、仏舎利を以て、七宝の塔を起つるを見る。

 爾時、弥勒菩薩、是念を作さく、「今者世尊、神変の相を現じたまふ、何の因縁を以てか而も此瑞有る。今仏世尊は、三昧に入りたまへり。是の不可思議に希有の事を現ぜるを、当に以て誰にか問ふべき、誰か能く答えん者なる。」復此の念を作さく、「是の文殊師利、法王の子は、已に曾て過去の無量の諸仏に親近し供養せり。必ずまさに此の希有の相を見るべし。我今当に問ふべし。」 

 爾時、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、及び諸の天、龍、鬼神等、咸く此の念を作さく、「是の仏の光明神通の相を、今当に誰にか問ふべき。」

 爾時、弥勒菩薩、自ら疑を決せんと欲し、又四衆の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷及び諸の天、龍、鬼神等の衆会の心を観じて、文殊師利に問うて言わく、「何の因縁を以て此瑞神通の相ありて、大光明を放ち、東方万八千の土を照したまふに、悉く彼の仏の国界の荘厳を見るや。」

 是に於いて弥勒菩薩、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を以て問うて曰はく、

 

  文殊師利、導師何が故に
  眉間白毫の、大光普く照したまふや
  曼陀羅、曼殊沙華を雨ふらして
  栴檀の香ばしき風、衆の心を悦可す


  是の因縁を以て、地皆厳浄なり
  而も此世界、六種に震動す
  時に四部の衆、咸く皆歓喜し
  身意快然として、未曾有なることを得たり


  眉間の光明 東方
  万八千の土を照したまふに 皆金色の如し
  阿鼻獄より 上は有頂に至るまで
  諸の世界の中の 六道の衆生


  生死の所趣 善悪の業縁
  受報の好醜 此に於て悉く見る
  又諸仏 聖主師子
  経典の 微妙第一なるを演説したまふに


  其の声清浄にして 柔軟の音を出だし
  諸の菩薩を教えたまふこと 無数億万なり
  梵音深妙にして 人をして聞かんと楽わしめ
  各世界に於て 正法を講説するに


  種々の因縁をもってし 無量の喩を以て
  仏法を照明し 衆生を開悟せしめたまふを覩る
  若し人苦に遭うて 老病死を厭ふには
  為に涅槃を説きて 諸苦の際を尽くさしめ


  若し人福有りて 曾て仏を供養し
  勝法を志求するには 為に縁覚を説き
  若し仏子有りて 種々の行を修し
  無上慧を求むるには 為に浄道を説きたまふ


  文殊師利 我此に住して
  見聞すること斯の若く 千億の事に及べり
  是の如く衆多なる 今当に略して説くべし
  我彼の土の 恒沙の菩薩


  種々の因縁もて 仏道を求むるを見る
  或ひは施を行ずるに 金銀珊瑚
  真珠摩尼 硨磲碼碯
  金剛の諸珍 奴婢車乗


  宝飾の輦輿を 歓喜して布施し
  仏道に回向して 是の乗の
  三界第一にして 諸仏の歎じたまふ所なるを得んと願ふあり
  或ひは菩薩の 駟馬の宝車


  欄楯華蓋あると 軒飾あるとを布施する有り
  復菩薩の 身肉手足
  及び妻子を施して 無上道を求むるを見る
  又菩薩の 頭目身体を


  欣楽施与して 仏の智慧を求むるを見る
  文殊師利 我諸王の
  仏所に往詣して 無上道を問ひたてまつり
  便ち楽土 宮殿臣妾を捨てて


  鬚髪を剃除して 法服を被るを見る
  或ひは菩薩の 而も比丘と作りて
  独り閑静に処し 楽って経典を誦するを見る
  又菩薩の 勇猛精進し


  深山に入りて 仏道を思惟するを見る
  又欲を離れ 常に空閑に処し
  深く禅定を修して 五神通を得るを見る
  又菩薩の 禅に安んじて合掌し


  千万の偈を以て 諸法の王を讃めたてまつるを見る
  復菩薩の 智深く志固くして
  能く諸仏に問いたてまつり 聞きて悉く受持するを見る
  又仏子の 定慧具足して


  無量の喩を以て 衆の為に法を講じ
  欣楽説法して 諸の菩薩を化し
  魔の兵衆を破して 法鼓を撃つを見る
  又菩薩の 寂然宴黙にして


  天龍恭敬すれども 為を以て喜とせざるを見る
  又菩薩の 林に処して光を放ち
  地獄の苦を救ひて 仏道に入らしむるを見る
  又仏子の 未だ曾て睡眠せず


  林中に経行して 仏道を勤求するを見る
  又戒を具して 威儀欠くること無く
  浄きこと宝珠の如くにして 以て仏道を求むるを見る
  又仏子の 忍辱の力に住して


  増上慢の人の 悪罵捶打するを
  皆悉く能く忍んで 以て仏道を求むるを見る
  又菩薩の 諸の戲笑
  及び痴なる眷属を離れ 智者に親近し


  一心に乱を除き 念を山林に攝め
  億千万歳 以て仏道を求むるを見る
  或ひは菩薩の 肴膳飲食
  百種の湯薬を 仏及び僧に施し


  名衣上服の 価直千万なる
  或ひは無価の衣を 仏及び僧に施し
  千万億種の 栴檀の宝舎
  衆の妙なる臥具を 仏及び僧に施し


  清浄の園林の 華果茂く盛んなると
  流泉浴池とを 仏及び僧に施し
  是の如き等の施の 種々に微妙なるを
  歓喜し厭くことなくして 無上道を求むるを見る


  或ひは菩薩の 寂滅の法を説きて
  種々に 無数の衆生を教詔する有り
  或ひは菩薩の 諸法の性は
  二相有ること無し 猶し虚空の如しと観ずるを見る


  又仏子の 心に所著無くして
  此の妙慧を以て 無上道を求むるを見る
  文殊師利 又菩薩の
  仏の滅度の後 舎利を供養するあり


  又仏子の 諸の塔廟を造ること
  無数恒沙にして 国界を厳飾し
  宝塔高妙にして 五千由旬
  縦広正等にして 二千由旬


  一一の塔廟に 各千の幢幡あり
  珠もて交露せる幔ありて 宝鈴和鳴せり
  諸の天龍神 人及び非人
  香華妓楽を 常に以て供養するを見る


  文殊師利 諸の仏子等
  舎利を供せんが為に 塔廟を厳飾す
  国界自然に 殊特妙好なること
  天の樹王の 其の華開敷せるが如し


  仏一の光を放ちたまふに 我及び衆会
  此の国界の 種々に殊妙なるを見る
  諸仏は神力 智慧希有なり
  一の浄光を放ちて 無量の国を照したまふ


  我等此れを見て 未曾有なることを得たり
  仏子文殊 願わくは衆の疑を決したまへ
  四衆欣仰して 仁及び我を瞻る
  世尊何が故に 斯の光明を放ちたまふや


  仏子時に答えて 疑を決して喜ばしめたまへ
  何の饒益する所ありてか 斯の光明を演べたまふ
  仏道場に坐して 得たまえる所の妙法
  為めてこれを説かんとや欲す 為めて当に授記したまふべきや


  諸の仏土の 衆宝厳浄なるを示し
  及び諸仏を見たてまつること 此れ小縁に非ず
  文殊当に知るべし 四衆龍神
  仁者を瞻察す 為めて何等をか説きたまわん


 爾の時、文殊師利、弥勒菩薩摩訶薩及び諸の大士に語らく、「善男子等、我が惟忖するが如きは、今仏世尊は、大法を説き、大法の雨を雨らし、大法の螺を吹き、大法の鼓を撃ち、大法の義を演べんと欲すらん。の善男子、我過去の諸仏に於て、曾て此瑞を見たてまつりしに、斯の光を放ち已りて、即ち大法を説きたまひき。是の故に当に知るべし、今の仏の光を現じたまふも亦復是の如く、衆生をして咸く一切世間の難信の法を聞知することを得しめんと欲するが故に、斯の瑞を現じたまふならん。諸の善男子、過去無量無辺不可思議阿僧祇劫の如き、爾の時に仏有す。日月燈明如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊と号く。正法を演説したまふに、初善、中善、後善なり。其義深遠に、其語巧妙に、純一無雑にして、具足清白、梵行の相なり。声聞を求むる者の為には、応ぜる四諦の法を説きて、生老病死を度し、涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求むる者為には、応ぜる十二因縁の法を説き、諸の菩薩の為には、応ぜる六波羅蜜を説きて、阿耨多羅三藐三菩提を得て、一切種智を成ぜしめたまふ。次に復、仏有す、亦日月燈明と名く。次に復、仏有す、亦日月燈明と名く。是の如く二万の仏、皆同じく一字にして日月燈明と号く。又同じく一姓にして、頗羅堕を姓とせり。弥勒、当に知るべし、初仏後仏、皆同じく一字にして、日月燈明と名け、十号具足せり、説きたまふ所の法、初中後善なり。其の最後の仏、未だ出家したまはざりし時八王子あり、一をば有意と名け、二をば善意と名け、三をば無量意と名け、四をば宝意と名け、五をば増意と名け、六をば除疑意と名け、七をば響意と名け、八をば法意と名く。是の八の王子、威徳自在にして、各四天下を領す。是の諸の王子、父の出家して阿耨多羅三藐三菩提を得たまへりと聞き、悉く王位を捨て、亦随ひて出家し、大乗の心を発し、常に梵行を修して、皆法師と為れり。已に千万の仏の所に於て、諸の善本を植えたり。是の時、日月燈明仏、大乗経の無量義、教菩薩法、仏所護念と名くるを説きたまふ。是の経を説き已りて、即ち大衆の中に於て、結跏趺坐し、無量義処三昧に入りて、身心動じたまはず。是の時、天より曼陀羅華、摩訶曼陀羅華、曼殊沙華、摩訶曼殊沙華を雨らして、仏の上、及び諸の大衆に散じ、普仏世界六種に震動す。爾時、会中の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ご羅伽、人非人及び諸の小王、転輪聖王等、是の諸の大衆、未曾有なることを得て、歓喜し合掌して、一心に仏を観たてまつる。爾の時、如来、眉間白毫相の光を放ちて、東方万八千の仏土を照したまふに、周遍せざることなし。今の見る所の是の諸の仏土の如し。弥勒当に知るべし、 爾時、会中に二十億の菩薩有りて、法を聴かんと楽欲す、是の諸の菩薩、此の光明普く仏土を照すを見、未曾有なることを得て、此の光の所為の因縁を知らんと欲す。時に菩薩あり、名を妙光と曰ふ。八百の弟子有り。 是の時、日月燈明仏、三昧より起ちて、妙光菩薩に因せて、大乗経の妙法蓮華、教菩薩法、仏所護念と名くるを説きたまふ。六十小劫座を起ちたまはず。時の会の聴者も亦一処に坐して、六十小劫身心動せず。仏の説きたまふ所を聴くこと、食頃の如しと謂えり。是の時、衆中に、一人の若しは身、若しは心に懈倦を生ずるもの有ること無かりき。日月燈明仏、六十小劫に於て是の経を説き已りて、即ち梵、魔、沙門、婆羅門、及び天、人、阿修羅衆の中に於て、此の言を宣べたまはく、「如来今日の中夜に於て、当に無余涅槃に入るべし」時に菩薩有り、名を徳蔵という。日月燈明仏、即ち其れに記を授け、諸の比丘に告げたまはく、「是の徳蔵菩薩次に当に作仏すべし。号を浄身多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀と曰わん」

 仏、授記し已りて、便ち中夜に於て、無余涅槃に入りたまふ。仏の滅度の後、妙光菩薩、妙法蓮華経を持ちて、八十小劫を満じて人の為に演説す。日月燈明仏の八子、皆妙光を師とす。妙光教化して、其れをして阿耨多羅三藐三菩提に堅固ならしむ、是の諸の王子、無量百千万億の仏を供養し已りて、皆仏道を成ず。其の最後に成仏したまふ者をば、名を然燈と曰ふ。八百の弟子の中に一人有り、号を求名と曰ふ。利養に貧著せり。復衆経を読誦すと雖も而も通利せず、忘失する所多し、故に求名と号く。是の人亦諸の善根を植えたる因縁を以ての故に、無量百千万億の諸仏に値いたてまつることを得て、供養し恭敬し尊重し讃歎せり。弥勒、当に知るべし、爾の時の妙光菩薩は豈に異人ならんや、我身是れ也。求名菩薩は汝が身是れなり。今此の瑞を見るに、本と異なること無し。是故に惟忖するに、今日の如来も当に大乗経の妙法蓮華、教菩薩法、仏所護念と名くるを説きたまふべし。」

 爾の時、文殊師利、大衆の中に於て、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 

  我過去世の 無量無数劫を念ずるに
  仏人中尊有しき 日月燈明と号く
  世尊法を演説して 無量の衆生
  無数億の菩薩を度して 仏の智慧に入らしめたまふ


  仏未だ出家したまはざりし時の 所生の八王子
  大聖の出家を見て 亦随ひて梵行を修す
  時に仏、大乗経の無量義と名くるを説きて
  諸の大衆の中に於て 為に広く分別したまふ


  仏此経を説き已りて 即ち法座の上に於て
  跏趺して三昧に坐したまふ 無量義処と名く
  天より曼陀華を雨らし 天鼓自然に鳴り
  諸の天龍鬼神 人中尊を供養す


  一切の諸の仏土 即時に大いに震動し
  仏眉間の光を放ちて 諸の希有の事を現じたまふ
  此光東方 万八千の仏土を照らして
  一切衆生の 生死の業報処を示したまふ


  諸の仏土の 衆宝を以て荘厳して
  瑠璃頗黎の色なるを見ること有り 斯れ仏の光の照したまふに由る
  及び諸の天人、龍神、夜叉衆
  乾闥、緊那羅 各其仏を供養するを見る


  又諸の如来の 自然の仏道を成じて
  身の色金山の如く 端厳にして甚だ微妙なること
  浄瑠璃の中 内に真金の像を現ずるが如くなるを見る
  世尊大衆に在して 深法の義を敷演したまふ


  一一の諸の仏土 声聞衆無数なり
  仏の光の所照に因りて 悉く彼の大衆を見る
  或は諸の比丘の 山林の中に在りて
  精進し浄戒を持つこと 猶し明珠を護るが如くなる有り


  又諸の菩薩の 施忍辱等を行ずること
  其数恒沙の如くなるを見る 斯れ仏の光の照したまふに由る
  又諸の菩薩の 深く諸の禅定に入りて
  身心寂かにして動せずして 以て無上道を求むるを見る


  又諸の菩薩 法の寂滅の相を知りて
  各其国土に於て 法を説きて仏道を求むるを見る
  爾の時四部の衆 日月燈仏の
  大神通を現じたまふを見て 其心皆歓喜して


  各々自ら相問はく 是の事何の因縁なる
  天人所奉の尊 適めて三昧より起ちて
  妙光菩薩を讃じたまはく 汝は為れ世間の眼なり
  一切に帰信せられて 能く法蔵を奉持す


  我が説く所の法の如きは 唯汝のみ能く証知せり
  世尊既に讃歎し 妙光をして歓喜せしめて
  是の法華経を説きたまふに 六十小劫を満じて
  此の座を起ちたまはず 説きたまふ所の上妙の法


  是の妙光法師 悉く皆能く受持す
  仏是法華を説きて 衆をして歓喜せしめ已りて
  尋いで即ち是の日に於て 天人衆に告げたまはく
  諸法実相の義 已に汝等が為に説く


  我今中夜に於て 当に涅槃に入るべし
  汝一心に精進し 当に放逸を離るべし
  諸仏には甚だ値ひ難し 億劫に時に一たび遇ひたてまつる
  世尊の諸子等 仏涅槃に入りたまはんと聞きて


  各々に悲悩を懐く 仏滅したまふこと一に何ぞ速かなると
  聖主法の王 無量の衆を安慰したまはく
  我若し滅度せん時 汝等憂怖すること勿れ
  是徳蔵菩薩は 無漏実相に於て


  心已に通達することを得たり 其れ次に当に作仏すべし
  号をば曰ひて浄身と為さん 亦無量の衆を度せん
  仏此の夜滅度したまふこと 薪尽きて火の滅するが如し
  諸の舎利を分布して 無量の塔を起つ


  比丘比丘尼 其の数恒沙の如し
  倍す復精進を加へて 以て無上道を求む
  是妙光法師 仏の法蔵を奉持して
  八十小劫の中に 広く法華経を宣ぶ


  是の諸の八王子 妙光に開化せられて
  無上道に堅固にして 当に無数の仏を見たてまつるべし
  諸仏を供養し已りて 随順して大道を行じ
  相継ぎて成仏することを得て 転次して授記す


  最後の天中天をば 号を燃燈仏と曰ふ
  諸仙の導師として 無量の衆を度脱したまふ
  是妙光法師 時に一の弟子有り
  心常に懈怠を懐きて 名利に貧著せり


  名利を求むるに厭くこと無くして 多く族姓の家に遊び
  習誦する所を棄捨し 廃忘して通利せず
  是因縁を以ての故に 之を号けて求名と為す
  亦衆の善業を行じ 無数の仏を見たてまつることを得


  諸仏を供養し 随順して大道を行じ
  六波羅蜜を具して 今釈師子を見たてまつる
  其れ後に当に作仏すべし 号をば名けて弥勒と曰はん
  広く諸の衆生を度すること 其数量り有ること無けん


  彼の仏の滅度の後 懈怠なりし者は汝是れなり
  妙光法師は 今則ち我が身是れなり
  我燈明仏を見たてまつりしに 本の光瑞此の如し
  是れを以て知りぬ今の仏も 法華経を説かんと欲すならん


  今の相本の瑞の如し 是れ諸仏の方便なり
  今の仏の光明を放ちたまふも 実相の義を助発せん
  諸人今当に知るべし 合掌して一心に待ちたてまつれ
  仏当に法雨を雨らして 道を求むる者に充足したまふべし


  諸の三乗を求むる人 若し疑悔有らば
  仏当に為に除断して 尽くして余り有ること無からしめたまはん

 

 

 

 

妙法蓮華経 方便品 第二

 

 爾時(そのとき)、世尊、三昧より安詳として起ちて、舎利弗に告げたまはく、「諸仏の智慧は、甚深にして無量なり。其智慧の門は難解にして難入なり。一切の声聞、辟支仏の知ること能はざる所なり。所以は何ん。仏、曾て百千万億無数の諸仏に親近して、尽くして諸仏の無量の道法を行じ、勇猛精進して、名称普く聞こえたり、甚深未曾有の法を成就して、宜しきに随ひて説きたまふ所は、意趣解り難し。

 舎利弗、吾成仏してより已来、種々の因縁、種々の譬喩もて、広く言教を演べ、無数の方便もて、衆生を引導して、諸の著を離れしむ。所以は何ん。如来は方便、知見波羅蜜、皆已に具足せり。舎利弗、如来の知見は、広大にして深遠なり。無量、無碍、力、無所畏、禅定、解脱、三昧ありて、深く無際に入り、一切未曾有の法を成就せり。舎利弗、如来は能く種々に分別して巧に諸法を説き、言辞柔軟にして、衆の心を悦可す。舎利弗、要を取りて之を言はば、無量無辺未曾有の法を、仏悉く成就したまへり。止みなん、舎利弗復説くべからず。所以は何ん。仏の成就したまへる所は、第一希有難解の法なり。唯仏とのみ、乃し能く諸法実相を究尽したまへり。謂ゆる諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等なり。」

 爾時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 

   世雄は量るべからず 諸天及び世人
   一切衆生の類 能く仏を知る者無し
   仏の力無所畏 解脱諸の三昧
   及び仏の諸余の法は 能く測量する者無し


   本無数の仏に従ひて 具足して諸道を行じたまへり
   甚深微妙の法は 見ること難く了ずべきこと難し
   無量億劫に於て 此諸の道を行じ已りて
   道場にして果を成ずることを得て 我已に悉く知見せり


   是の如き大果報 種々の性相の義
   我及び十方の仏 乃し能く是の事を知ろしめせり
   是法は示すべからず 言辞の相寂滅せり
   諸余の衆生の類は 能く得解すること有ること無し


   諸の菩薩衆の 信力堅固なる者をば除く
   諸仏の弟子衆の 曾て諸仏を供養し
   一切の漏已に尽くして 是の最後身に住せる
   是の如き諸人等は 其力堪へざる所なり


   仮使世間に満てらん 皆舎利弗の如くにして
   思を尽くして供に度量すとも 仏智を測ること能はざらん
   正使十方に満てらん 皆舎利弗の如く
   及び余の諸の弟子 亦十方の刹に満てらん


   思を尽くして供に度量すとも 亦復知ること能はざらん
   仏の利智にして 無漏の最後身なる
   亦十方界に満じて 其の数竹林の如くならん
   斯れ等共に一心に 億無量劫に於て


   仏の実智を思はんと欲すとも 能く少分をも知ることなけん
   新発意の菩薩の 無数の仏を供養し
   諸の義趣を了達して 又能善く法を説かんもの
   稲麻竹葦の如くにして 十方の刹に充満せん


   一心に妙智を以て 恒河沙劫に於て
   咸く皆共に思量すとも 仏智を知ること能はざらん
   不退の諸の菩薩 其数恒沙の如くにして
   一心に共に思求すとも 亦復知ること能はざらん


   又舎利弗に告げたまはく 無漏不思議の
   甚深微妙の法を 我今已に具ふることを得たり
   唯我のみ是相を知れり 十方の仏も亦然なり
   舎利弗当に知るべし 諸仏は語異なること無し


   仏の説きたまふ所の法に於て 当に大信力を生ずべし
   世尊は法久しうして後 要ず当に真実を説きたまふべし
   諸の声聞衆 及び縁覚乗を求むる者に告ぐ
   我苦縛を脱し 涅槃を逮得せしめたることは


   仏方便力を以て 示すに三乗の教を以てす
   衆生の処処の著 之を引きて出づることを得しめん

 

 
 爾時、大衆の中に、諸の声聞・漏尽の阿羅漢、阿若僑陳如等の千二百人、及び声聞、辟支仏の心を発せる比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷あり。各是の念を作さく、「今者世尊何が故に慇懃に方便を称歎して、而も是言を作したまふや。仏の得たまへる所の法は、甚深にして解り難く、言説したまふ所有るは、意趣知り難し。一切の声聞、辟支仏の及ぶこと能はざる所なり。仏、一解脱の義を説きたまひしかば、我等も亦此の法を得て、涅槃に到れり。而るに今是の義の所趣を知らず。」

 爾時、舎利弗、四衆の心の疑ひを知り、自らも亦未だ了らずして、仏に白して言さく、「世尊、何の因、何の縁ありてか、慇懃に諸仏第一の方便甚深微妙難解の法を称歎したまふ。我昔より来、未だ曾て仏に従ひて是の如きの説を聞きたてまつらず、今者四衆、咸く皆疑あり。唯願わくは世尊、斯の事を敷演したまえ。世尊、何が故に慇懃に甚深微妙難解の法を称歎したもまふ。」

 爾の時、舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言さく、

 

   慧日大聖尊 久しうして乃し是法を説きたまふ
   自ら是の如き 力無畏三昧
   定解脱等の 不可思議の法を得たりと説きたまふ
   道場所得の法は 能く問を発す者無し


   我が意測るべきこと難し 亦能く問う者無し
   問うこと無けれども而も自ら説きて 所行の道を称歎したまふ
   智慧甚だ微妙にして 諸仏の得たまへる所なり
   無漏の諸の羅漢 及び涅槃を求むる者


   今皆疑網に堕せり。 仏何が故に是を説きたまふ
   其縁覚を求むる者 比丘、比丘尼
   諸の天龍鬼神 及び乾闥婆等
   相視て猶豫を懐き 両足尊を瞻仰す


   是の事云何なる為(べ)き 願わくは仏為に解説したまへ
   諸の声聞衆に於て 仏我を第一なりと説きたまふ
   我今自ら智に於て 疑惑して了(さと)ること能はず
   為(さだ)めて是れ究竟の法なりや。 為めて是れ所行の道なりや


   仏口所生の子 合掌し瞻仰して待ちたてまつる
   願わくば微妙の音を出だして 時に為に実の如く説きたまへ
   諸の天龍神等 其数恒沙の如し
   仏を求むる諸の菩薩 大数八万有り


   又諸の万億国の 転輪聖王の至れる
   合掌し敬心を以て 具足の道を聞きたてまつらんと欲す

 


  爾時、仏、舎利弗に告げたまはく、「止みなん止みなん。復説く須(べ)からず。若し是の事を説かば、一切世間の諸天及び人、皆当に驚疑すべし。」

 舎利弗、重ねて仏に白して言さく、「世尊、唯(ただ)願わくば之を説きたまへ。唯願わくば之を説きたまへ。所以は何ん。是の会の無数百千万億阿僧祇の衆生は、曾て諸仏を見たてまつり、諸根猛利にして、智慧明了なり。仏の所説を聞きたてまつらば則ち能く敬信せん。」

 爾の時、舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言さく、

 

  法王無上尊 唯説きたまえ願わくば慮(うらおもひ)したまふこと勿れ

  是の会の無量の衆は 能く敬信すべき者有り

 

 仏、復、「止みなん。舎利弗。若し是の事を説かば、一切世間の天、阿修羅は、皆当に驚疑すべし。増上慢の比丘は、将に大坑に墜つべし。」

 爾の時、世尊、重ねて偈を説きて言はく、


   止みなん止みなん、説く須(べ)からず 我が法は妙にして思ひ難し
   諸の増上慢の者は 聞いて必ず敬信せじ


 爾の時、舎利弗、重ねて仏に白して言さく、「世尊、唯願わくば之を説きたまへ、唯願わくば之を説きたまへ。今此会中の我が如きの等比(たぐひ)百千万億なるは、世世に已に曾て仏に従ひて化を受けたり。此の如き人等は、必ず能く敬信して、長夜安穏にして、饒益する所多からん。」

爾の時、舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言さく、


   無上両足尊 願わくば第一の法を説きたまへ
   我は為れ仏の長子なり 唯分別して説くことを垂れたまへ
   是の会の無量の衆は 能く此の法を敬信せん
   仏已に曾て世世に 是の如き等を教化したまへり


   一心に合掌して 仏語を聴受せんと欲す
   我等千二百 及び余の仏を求むる者あり
   願わくば此の衆の為の故に 唯分別し説くことを垂れたまへ
   是れ等此法を聞きたてまつらば 則ち大歓喜を生ぜん


 爾の時、世尊、舎利弗に告げたまはく、「汝已に慇懃に三たび請ぜり。豈に説かざることを得んや。汝今諦かに聴け、善く之を思念せよ、吾当に汝が為に、分別し解説すべし。」

 此語を説きたまふ時、会中に比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、五千人等あり。即ち座より起ちて、仏を礼して退けり。所以は何ん。此輩は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂ひ、未だ証せざるを証せりと謂えり。此の如き失有り、是を以て住せず。世尊、黙然として制止したまはず。

 爾の時、仏、舎利弗に告げたまはく、「我が今此衆は復枝葉なく、純ら貞実のみ有らん。舎利弗、是の如き増上慢の人は、退くも亦佳し。汝今善く聴け、当に汝が為に説くべし。」

舎利弗の言さく、「唯然なり世尊、願楽わくは聞きたてまつらんと欲す。」

仏、舎利弗に告げたまはく、「是の如き妙法は、諸仏如来、時に乃し之を説きたまふ。優曇鉢華の時に一たび現ずるが如きのみ。舎利弗、汝等当に信ずべし、仏の説きたまふ所の言は、虚妄ならず。舎利弗、諸仏随宜の説法は、意趣解り難し。所以は何ん。我無数の方便、種々の因縁、譬喩、言辞を以て、諸法を演説す。是法は思量分別の能く解する所に非ず。唯諸仏のみましまして、乃し能く之を知しめせり。所以は何ん。諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したまふ。舎利弗、云何なるをか諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したまふと名くる。諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したまふ。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまふ。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したまふ。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に世に出現したまふ。舎利弗、是を諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したまふと為す。」仏、舎利弗に告げたまはく、「諸仏如来は、但菩薩を教化したまふ。諸の所作は、常に一事の為なり。唯仏の知見を以て、衆生に示悟したまはん。舎利弗、如来は但一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたまふ。余乗の、若しは二、若しは三有ることなし。舎利弗、一切十方の諸仏の法も亦是の如し。舎利弗、過去の諸仏も、無量無数の方便、種々の因縁、譬喩、言辞を以て、衆生の為に、諸法を演説したまふ。是法も皆一仏乗の為の故なり。是諸の衆生の、諸仏に従ひたてまつりて、法を聞きしも、究竟して皆一切種智を得たり。舎利弗、未来の諸仏の、当に世に出でたまふべきも、亦無量無数の方便、種々の因縁、譬喩、言辞を以て、衆生の為に、諸法を演説したまはん。是法も皆一仏乗の為の故なり。是諸の衆生の、仏に従ひたてまつりて、法を聞かんも、究竟じて皆一切種智を得べし。舎利弗、現在十方の無量百千万億の仏土の中の諸仏世尊の、衆生を饒益し安楽ならしめたまふ所多き、是諸仏も亦無量無数の方便、種々の因縁、譬喩、言辞を以て、衆生の為に諸法を演説したまふ。是法も皆一仏乗の為の故なり。是諸の衆生の、仏に従いたてまつりて、法を聞けるも、究竟じて皆一切種智を得。舎利弗、是諸仏は、但菩薩を教化したまふ。仏の知見を以て衆生に示さんと欲するが故に。仏の知見を以て衆生に悟らしめんと欲するが故に。衆生をして仏の知見に入らしめんと欲するが故なり。舎利弗、我も今亦復是の如し。諸の衆生の、種々の欲、深心の所著あることを知りて、其本性に随ひて、種々の因縁、譬喩、言辞、方便力を以ての故に、而も為に法を説く。舎利弗、此の如きは、皆一仏乗の一切種智を得しめんが為の故なり。舎利弗、十方世界の中には、尚お二乗無し、何に況んや三有らんや。舎利弗、諸仏は五濁の悪世に出でたまふ。謂ゆる劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁なり。是の如し。舎利弗。劫の濁乱の時は、衆生垢重く慳貪、嫉妬にして、諸の不善根を成就するが故に、諸仏、方便力を以て、一仏乗に於て、分別して三と説きたまふ。舎利弗、若し我が弟子、自ら阿羅漢、辟支仏なりと謂はん者は、諸仏如来の但菩薩を教化したまふ事を聞かず知らずんば、此れ仏弟子に非ず、阿羅漢に非ず、辟支仏に非ず。又舎利弗、是の諸の比丘、比丘尼、自ら已に阿羅漢を得たり、是れ最後身なり、究竟の涅槃なりと謂うて、便ち復阿耨多羅三藐三菩提を志求せざらん。当に知るべし、此の輩は皆是れ増上慢の人なり。所以は何ん、若し比丘の実に阿羅漢を得たる有りて、此の法を信ぜるが若(ごと)きは、是処(ことわり)有ること無けん。仏の滅度の後、現前に仏無からんをば除く。所以は何ん。仏の滅度の後に、是の如き等の経を受持し読誦し、其義を解せん者、是人得難ければなり。若し余仏に遇はば、此法の中に於て、便ち決了することを得ん。舎利弗、汝等当に一心に信解して仏語を受持すべし。諸仏如来は言虚妄無し。余乗あること無く、唯一仏乗のみなり。」

 爾の時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 

   比丘比丘尼の 増上慢を懐くこと有る
   優婆塞の我慢なる 優婆夷の不信なる
   是の如き四衆等 其数五千有り
   自ら其過を見ず 戒に於て欠漏あり


   其瑕疵(けし)を護り惜む 是小智は已に出でたり
   衆中の糟糠なり 仏の威徳の故に去れり
   斯の人は福徳尠(すく)なくして 是法を受くるに堪えず
   此衆は枝葉無し 唯諸の貞実のみ有り


   舎利弗善く聴け 諸仏の所得の法は
   無量の方便力をもて 而も衆生の為に説きたまふ
   衆生の心の所念 種々の所行の道
   若干の諸の欲性 先世の善悪の業


   仏悉く是れを知しめし已りて 諸の縁、譬喩
   言辞、方便力を以て 一切をして歓喜せしめたまふ
   或は修多羅 伽陀及び本事
   本生未曾有を説き 亦因縁


   譬喩並びに祇夜 優婆提舎経を説きたまふ
   鈍根にして小法を楽い 生死に貧著し
   諸の無量の仏に於て 深妙の道を行ぜず
   衆苦に悩乱せらるるには 是れが為に涅槃を説きたまふ


   我是方便を設けて 仏慧に入ることを得しむ
   未だ曾て汝等 当に仏道を成ずることを得べしと説かず
   未だ曾て説かざる所以は 説時未だ至らざる故なり
   今正しく是れ其の時なり 決定して大乗を説く


   我が此九部の法は 衆生に随順して説く
   大乗に入るに為(こ)れ本なり 故を以て是経を説く
   仏子の心浄く 柔軟に亦利根にして
   無量の諸仏の所にして 深妙の道を行ずる有り


   此の諸の仏子の為に 是大乗経を説く
   我是の如き人 来世に仏道を成ぜんと記す
   深心に仏を念じ 浄戒を修持するを以ての故に
   此れ等仏を得べしと聞きて 大喜身に充遍す


   仏彼の心行を知れり。 故に為に大乗を説く
   声聞若しは菩薩 我が所説の法を聞くこと
   乃至一偈に於てもせば 皆成仏せんこと疑ひ無し
   十方仏土の中には 唯一乗の法のみ有り


   二もなく亦三も無し 仏の方便の説を除く
   但仮の名字を以て 衆生を引導したまふ
   仏の智慧を説かんが故に 諸仏世に出でたまふには
   唯此一事のみ実なり 余の二は則ち真に非ず


   終に小乗を以て 衆生を済度したまはず
   仏は自ら大乗に住したまへり 其の所得の法の如きは
   定慧の力荘厳せり 此れを以て衆生を度したまふ
   自ら無上道 大乗平等の法を証して


   若し小乗を以て化すること 乃至一人に於てもせば
   我則ち慳貪に堕せん 此の事は為(さだ)めて不可なり
   若し人仏に信帰すれば 如来欺誑したまはず
   亦貧嫉の意無し 諸法の中の悪を断じたまへり


   故に仏は十方に於て 而も独り畏るる所無し
   我相を以て身を厳り 光明世間を照らす
   無量の衆に尊まれて 為に実相の印を説く
   舎利弗当に知るべし 我本誓願を立てて


   一切の衆をして 我が如く等しくして異ること無からしめんと欲せり
   我が昔願ふ所の如き 今者已に満足しぬ
   一切衆生を化して 皆仏道に入らしむ
   若し我衆生に遇えば 尽く教ふるに仏道を以てす


   無智の者は錯乱し 迷惑して教を受けず
   我知んぬ此の衆生は 未だ曾て善本を修せず
   堅く五欲に著して 痴愛の故に悩を生ず
   諸欲の因縁を以て 三悪道に墜堕し


   六趣の中に輪廻して 備さに諸の苦毒を受く
   受胎の微形 世世に常に増長し
   薄徳少福の人にして 衆苦に逼迫せらる
   邪見の稠林 若しは有若しは無等に入り


   此諸見に依止して 六十二を具足す
   深く虚妄の法に著して 堅く受けて捨つべからず
   我慢にして自ら矜高し 諂曲にして心不実なり
   千万億劫に於て 仏の名字を聞かず


   亦正法を聞かず 是の如き人は度し難し
   是の故に舎利弗 我為に方便を設けて
   諸の尽苦の道を説き 示すに涅槃を以てす
   我涅槃を説くと雖も 是れ亦真の滅に非ず


   諸法は本より来 常に自ら寂滅の相なり
   仏子道を行じ已りて 来世に作仏することを得ん
   我方便力有りて 三乗の法を開示す
   一切の諸の世尊も 皆一乗の道を説きたまふ


   今此諸の大衆 皆当に疑惑を除くべし
   諸仏は語異ること無し 唯一にして二乗無し
   過去無数劫の 無量の滅度の仏
   百千万億種にして 其の数量るべからず


   是の如き諸の世尊 種々の縁、譬喩
   無数の方便力をもて 諸法の相を演説したまひき
   是諸の世尊等も 皆一乗の法を説きて
   無量の衆生を化して 仏道に入らしめたまひき


   又諸の大聖主 一切世間の
   天人群生類の 深心の所欲を知ろしめして
   更に異の方便を以て 第一義を助顕したまふ
   若し衆生類有りて 諸の過去の仏に値ひたてまつりて


   若しは法を聞きて布施し 或は持戒忍辱
   精進禅智等 種々に福徳を修せし
   是の如き諸人等 皆已に仏道を成ぜり
   諸仏滅度し已りて 若し人善軟の心ありし


   是の如き諸の衆生 皆已に仏道を成ぜり
   諸仏滅度し已りて 舎利を供養する者
   万億種の塔を起て 金銀及び頗黎
   硨磲碼碯と 玫瑰瑠璃珠とをもて


   清浄に広く厳飾し 諸の塔を荘校し
   或は石廟を起て 栴檀及び沈水
   木樒並びに余の材 甎瓦泥土等をもてせる有り
   若しは曠野の中に於て 土を積んで仏廟を成し


   乃至童子の戲れに 沙を聚(あつ)めて仏塔と為せる
   是の如き諸人等 皆已に仏道を成ぜり
   若し人仏の為の故に 諸の形像を建立し
   刻彫して衆相を成せる 皆已に仏道を成ぜり


   或は七宝を以て成し 鍮鉐赤白銅
   白鑞及び鉛錫 鉄木及与泥
   或は膠漆布を以て 厳飾して仏像を作せる
   是の如き諸人等 皆已に仏道を成ぜり


   綵画して仏像の 百福荘厳の相を作すこと
   自らも作し若しは人をしてもせる 皆已に仏道を成ぜり
   乃至童子の戲れに 若しは草木及び筆
   或は指の爪甲を以て 画きて仏像を作せる


   是の如き諸人等 漸漸に功徳を積み
   大悲心を具足して 皆已に仏道を成ぜり
   但諸の菩薩を化し 無量の衆を度脱せり
   若し人塔廟 宝像及び画像に於いて


   華香旛蓋を以て 敬心にして供養し
   若しは人をして楽を作さしめ 鼓を撃ち角貝を吹き
   簫笛琴箜篌 琵琶鐃銅ばつ
   是の如き衆の妙音 尽く持ちて以て供養し


   或は歓喜の心を以て 歌唄して仏徳を頌(じゅ)
   乃至一小音をもてせし 皆已に仏道を成ぜり
   若し人散乱の心に 乃至一華を以て
   画像に供養せし 漸く無数の仏を見たてまつれり


   或は人ありて礼拝し 或は復但合掌し
   乃至一手を挙げ 或は復少し頭を低(た)
   此れを以て像に供養せし 漸く無量の仏を見たてまつりて
   自ら無上道を成じて 広く無数の衆を度し


   無余涅槃に入ること 薪尽きて火の滅ゆるが如くなりき
   若し人散乱の心に 塔廟の中に入りて
   一たび南無仏と称せし 皆已に仏道を成ぜり
   諸の過去の仏の 在世或は滅後に於て


   若し是の法を聞くこと有りし 皆已に仏道を成ぜり
   未来の諸の世尊 其数量あること無けん
   是諸の如来等も 亦方便して法を説きたまはん
   一切の諸の如来 無量の方便を以て


   諸の衆生を度脱して 仏の無漏智に入れたまはん
   若し法を聞くこと有らん者は 一として成仏せずといふこと無けん
   諸仏の本誓願は 我が所行の仏道を
   普く衆生をして 亦同じく此の道を得しめんと欲す


   未来世の諸仏 百千億の
   無数の諸の法門を説きたまふと雖も 其れ実には一乗の為なり
   諸仏両足尊 法は常に無性なり
   仏種は縁によりて起ると知ろしめす 是故に一乗を説きたまふ


   是法は法位に住して 世間の相常住なり
   道場に於て知ろしめし已りて 導師方便して説きたまはん
   天人の供養したてまつる所の 現在十方の仏
   其の数恒沙の如く 世間に出現したまふも


   衆生を安穏ならしめんが故に 亦是の如き法を説きたまふ
   第一の寂滅を知ろしめして 方便力を以ての故に
   種々の道を示すと雖も 其れ実には仏乗の為なり
   衆生の諸行 深心の所念


   過去所習の業 欲性精進力
   及び諸根の利鈍を知ろしめして 種々の因縁
   譬喩亦言辞を以て 応に随ひて方便して説きたまふ
   今我も亦是の如し 衆生を安穏ならしめんが故に


   種々の法門を以て 仏道を宣示す
   我智慧力を以て 衆生の性欲を知りて
   方便して諸法を説きて 皆歓喜することを得しむ
   舎利弗当に知るべし 我仏眼を以て観じて


   六道の衆生を見るに 貧窮にして福慧無し
   生死の険道に入りて 相続して苦断えず
   深く五欲に著すること ?牛(みょうご)の尾を愛するが如し
   貪愛を以て自ら蔽(おお)ひ 盲瞑にして見る所無し


   大勢の仏 及び断苦の法を求めず
   深く諸の邪見に入りて 苦を以て苦を捨てんと欲す
   是の衆生の為の故に 而も大悲心を起せり
   我始め道場に坐して 樹を観じ亦経行して


   三七日の中に於て 是の如きの事を思惟せり
   我が所得の智慧は 微妙にして最も第一なり
   衆生の諸根鈍にして 楽に著し痴に盲いられたり
   斯の如きの等類を 云何にして度すべきと


   爾の時諸の梵王 及び諸の天帝釈
   護世四天王 及び大自在天
   並びに余の諸の天衆 眷属百千万
   恭敬し合掌し礼して 我に転法輪を請す


   我即ち自ら思惟すらく 若し但仏乗を讃めば
   衆生苦に没在し 是法を信ずること能はざらん
   法を破して信ぜざるが故に 三悪道に墜ちなん
   我寧ろ法を説かずとも 疾(すみやか)に涅槃にや入りなまし


   尋いで過去の仏の 所行の方便力を念うに
   我が今得る所の道も 亦当に三乗と説くべし
   是の思惟を作す時 十方の仏皆現じて
   梵音をもて我を慰諭したまふ 善い哉釈迦文


   第一の導師 是無上の法を得たまへども
   諸の一切の仏に随ひて 方便力を用ひたまふ
   我等も亦皆 最妙第一の法を得れども
   諸の衆生類の為に 分別して三乗と説く


   少智は小法を楽ひて 自ら作仏せんことを信ぜず
   是の故に方便を以て 分別して諸果を説く
   復三乗を説くと雖も 但菩薩を教んが為なりと
   舎利弗当に知るべし 我聖師子の


   深浄微妙の音を聞きて 喜んで南無仏と称す
   復是の如き念を作す 我濁悪世に出でたり
   諸仏の説きたまふ所の如く 我も亦随順して行ぜんと
   是の事を思惟し已りて 即ち波羅奈に趣く


   諸法寂滅の相は 言を以て宣ぶべからず
   方便力を以ての故に 五比丘の為に説く
   是れを転法輪と名づく 便ち涅槃の音
   及以(および)阿羅漢 法僧差別の名有り


   久遠劫より来 涅槃の法を讃示して
   生死の苦永く尽くすと 我常に是の如く説けり
   舎利弗当に知るべし 我仏子等を見るに
   仏道を志求する者 無量千万億


   咸く恭敬の心を以て 皆仏の所に来至せり
   曾て諸仏に従ひて 方便所説の法を聞けり
   我即ち是の念を作さく 如来出でたる所以は
   仏慧を説かんが為の故なり 今正しく是れ其の時なり


   舎利弗当に知るべし 鈍根小智の人
   著相僑慢の者は 是の法を信ずること能はず
   今我喜んで畏れ無し 諸の菩薩の中に於て
   正直に方便を捨てて 但無上道を説く


   菩薩是法を聞いて 疑網皆已に除く
   千二百の羅漢 悉く亦当に作仏すべし
   三世諸仏の 説法の儀式の如く
   我も今亦是の如く 無分別の法を説く


   諸仏世に興出したまふことは 懸(はるか)に遠くして値遇すること難し
   正使(たとひ)世に出でたまふとも 是法を説きたまふこと復難し
   無量無数劫にも 是法を聞くこと亦難し
   能く是法を聴く者 斯の人亦復難し


   譬えば優曇華の 一切皆愛楽し
   天人の希有とする所にして 時時に乃ち一たび出づるが如し
   法を聞きて歓喜し讃じて 乃至一言を発すは
   則ち為れ已に 一切の三世の仏を供養するなり


   是人甚だ希有なること 優曇華に過ぎたり
   汝等疑ひ有ること勿かれ 我は為れ諸法の王なり
   普く諸の大衆に告ぐ 但一乗の道を以て
   諸の菩薩を教化して 声聞の弟子無し


   汝等舎利弗 声聞及び菩薩
   当に知るべし是妙法は 諸仏の秘要なり
   五濁の悪世には 但諸欲に楽著するを以て
   是の如き等の衆生は 終に仏道を求めず


   当来世の悪人は 仏説の一乗を聞きて
   迷惑して信受せず 法を破して悪道に堕せん
   慙愧清浄にして 仏道を志求する者有らば
   当に是の如き等の為に 広く一乗の道を讃むべし


   舎利弗当に知るべし 諸仏の法是の如く
   万億の方便を以て 宜しきに随ひて法を説きたまふ
   其習学せざる者は 此れを暁了(ぎょうりょう)すること能はず
   汝等既に已に 諸仏世の師の


   随宜方便の事を知れり 復諸の疑惑無く
   心に大歓喜を生じて 自ら当に作仏すべしと知れ

 

 

 

 

妙法蓮華経 譬喩品 第三

 

 爾時(そのとき)、舎利弗、踊躍歓喜して、即ち起ちて合掌し、尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、「今世尊に従ひたてまつり、此の法音を聞きて、心に踊躍を懐き、未曾有なることを得たり。所以は何ん。我昔仏に従ひて、是の如き法を聞き、諸の菩薩の受記作仏を見しかども、而も我等は斯の事に預らず。甚だ自ら如来の無量の知見を失えることを感傷せり。世尊、我常に独り山林樹下に処して、若しは坐し、若しは行じて、毎(つね)に是の念を作さく、「我等も同じく法性に入れり、云何が如来小乗の法を以て済度せらるる」と。是れ我等が咎なり。世尊には非ず。所以は何ん。若し我等、所因の阿耨多羅三藐三菩提を成就することを説きたまふを待たましかば、必ず大乗を以て度脱することを得てまし。然るに我等は方便随宜の所説を解らずして、初め仏法を聞きて、偶々便ち信受し、思惟して証を取れり。世尊、我昔より来、終日竟夜、毎に自ら剋責せり。而るに今仏に従ひたてまつりて、未だ聞かざる所の未曾有の法を聞きて、諸の疑悔を断じ、身意泰然として、快く安穏なることを得たり。今日乃ち知んぬ。 真に是れ仏子なり。仏口より生じ、法化より生じて、仏法の分を得たり。」

 爾の時、舎利弗、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言さく、

 

  我是法音を聞きて 未曾有なる所を得て
  心に大歓喜を懐き 疑網皆已に除こりぬ
  昔より来仏教を蒙りて 大乗を失はず
  仏の音は甚だ希有にして 能く衆生の悩を除きたまふ


  我已に漏尽を得れども 聞きて亦憂悩を除く
  我山谷に処し 或は林樹の下に在りて
  若しは坐し若しは経行して 常に是事を思惟し
  鳴呼して深く自ら責めて 云何が而も自ら欺ける


  我等も亦仏子にして 同じく無漏の法に入れども
  未来に於て 無上道を演説すること能はず
  金色三十二 十力諸の解脱
  同じく共に一法の中にして 而も此事を得ず


  八十種の妙好 十八不共の法
  是の如き等の功徳 而も我皆已に失へり
  我独り経行せし時 仏大衆に在して
  名聞十方に満ち 広く衆生を饒益したまふを見て


  自ら惟(おも)はく此利を失へり 我為れ自ら欺誑せり
  我常に日夜に於いて 毎に是の事を思惟して
  以て世尊に問いたてまつらんと欲す 為(さだ)めて失へりや為めて失はずや
  我常に世尊を見たてまつるに 諸の菩薩を称讃したまふ


  是を以て日夜に 此の如き事を籌量しき
  今仏の音声を聞きたてまつるに 宜しきに随ひて法を説きたまへり
  無漏は思議し難し 衆をして道場に至らしむ
  我本邪見に著して 諸の梵志の師と為りき


  世尊我が心を知ろしめして 邪を抜き涅槃を説きたまひしかば
  我悉く邪見を除きて 空法に於て証を得たり
  爾の時心に自ら謂へり 滅度に至ることを得たりと
  而るに今乃ち自ら覚りぬ 是れ実の滅度に非ず


  若し作仏することを得ん時は 三十二相を具し
  天人夜叉衆 龍神等恭敬せん
  是の時乃ち謂ふべし 永く尽滅して余無しと
  仏大衆の中に於て 我当に作仏すべしと説きたまふ


  是の如き法音を聞きて 疑悔悉く已に除こりぬ
  初め仏の所説を聞きて 心中大いに驚疑しき
  将に魔の仏と作りて 我が心を悩乱するに非ずやと
  仏種々の縁 譬喩を以て巧みに言説したまふ


  其の心安きこと海の如し 我聞きて疑網断ぜり
  仏説きたまはく過去世の 無量の滅度の仏
  方便の中に安住して 亦皆是の法を説きたまへり
  現在未来の仏 其数量り有ること無きも


  亦諸の方便を以て 是の如き法を演説したまふ
  今者の世尊の如きも 生じたまひしより及び出家し
  得道し法輪を転じたまふまで 亦方便を以て説きたまふ
  世尊は実道を説きたまふ 波旬は此事無し


  是を以て我定めて知りぬ 是れ魔の仏と作るには非ず
  我疑網に堕するが故に 是れ魔の所為と謂へり
  仏の柔軟の音 深遠に甚だ微妙にして
  清浄の法を演暢したまふを聞きて 我が心大いに歓喜し


  疑悔永く已に尽きて 実智の中に安住す
  我定めて当に作仏して 天人に敬はるることを為(え)
  無上の法輪を転じて 諸の菩薩を教化すべし

 


 爾の時、仏、舎利弗に告げたまはく、「吾今天、人、沙門、婆羅門等の大衆の中に於て説く。我昔曾て二万億の仏の所に於て無上道の為の故に、常に汝を教化す。汝亦長夜に我に随ひて受学せり。我方便を以て汝を引導せしが故に、我が法の中に生れたり。舎利弗、我昔汝をして仏道を志願せしめたり。汝今悉く忘れて、而も便ち自ら已に滅度を得たりと謂へり。我今還って汝をして本願所行の道を憶念せしめんと欲するが故に、諸の声聞の為に、是大乗経の妙法蓮華 教菩薩法 仏所護念と名くるを説く。舎利弗、汝未来世に於て、無量無辺不可思議劫を過ぎて、若干千万億の仏を供養し、正法を奉持し、菩薩所行の道を具足して、当に作仏することを得べし。号を華光如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊と曰ひ、国をば離垢(りく)と名けん。其土平正にして、清浄厳飾に、安穏豊楽にして、天人熾盛ならん。瑠璃を地と為して、八つの交道あり。黄金を縄と為して、以て其側を界ひ、其傍らに各七宝の行樹有りて、常に華果あらん。華光如来、亦三乗を以て、衆生を教化せん。舎利弗、彼の仏出でたまはん時は、悪世に非ずと雖も、本願を以ての故に三乗の法を説きたまはん。其の劫をば大宝荘厳と名けん。何が故に名けて大宝荘厳と曰ふや、其国の中には、菩薩を以て大宝と為すが故なり。彼の諸の菩薩無量無辺不可思議にして、算数譬喩も及ぶこと能はざる所ならん、仏の智力に非ずんば能く知る者無けん。若し行かんと欲する時は宝華足を承く。此の諸の菩薩は初めて意を発せるに非ず、皆久しく徳本を植えて、無量百千万億の仏の所に於て浄く梵行を修し、恒に諸仏に称歎せらるることを為、常に仏慧を修し、大神通を具し、善く一切の諸法の門を知り、質直無偽にして、志念堅固ならん。是の如きの菩薩其国に充満せん。舎利弗、華光仏は寿十二小劫ならん。王子と為りて未だ作仏せざる時をば除く。其国の人民は寿八小劫ならん。華光如来、十二小劫を過ぎて、堅満菩薩に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けて、諸の比丘に告げん、「是堅満菩薩、次に当に作仏すべし、号をば華足安行・多陀阿伽度・阿羅訶・三藐三仏陀と曰わん。其仏の国土も、亦復是の如くならん」と。舎利弗、是華光仏の滅度の後、正法世に住すること三十二小劫、像法世に住すること亦三十二小劫ならん。」

 爾時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 

  舎利弗来世に 仏普智尊と成りて
  号をば名けて華光と曰はん 当に無量の衆を度すべし
  無数の仏を供養し 菩薩の行
  十力等の功徳を具足して 無上道を証せん


  無量劫を過ぎ已りて 劫をば大宝厳と名け
  世界をば離垢と名けん 清浄にして瑕穢なく
  瑠璃を以て地と為し 金縄其道を界ひ
  七宝雑色の樹 常に華果実あらん


  彼国の諸の菩薩は 志念常に堅固にして
  神通波羅蜜 皆已に悉く具足し
  無数の仏の所に於て 善く菩薩の道を学せん
  是の如き等の大士 華光仏の所化ならん


  仏王子為(た)らん時 国を棄て世の栄を捨てて
  最末後の身に於て 出家して仏道を成ぜん
  華光仏は世に住すること 寿十二小劫
  其国の人民衆は 寿命八小劫ならん


  仏の滅度の後 正法世に住すること
  三十二小劫 広く諸の衆生を度せん
  正法滅尽し已りて 像法三十二ならん
  舎利広く流布して 天人普く供養せん


  華光仏の所為 其事皆是の如し
  其両足聖尊 最勝にして倫匹無けん
  彼は即ち是れ汝が身なり 宜しく応に自ら欣慶(ごんぎょう)すべし

 


 爾時、四部の衆の比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩ご羅伽等の大衆、舎利弗の仏の前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くるを見て、心大いに歓喜して、踊躍すること無量なり。各各に身に著たる所の上衣を脱ぎて以て仏に供養す。釈提桓因、梵天王等、無数の天子とともに、亦天の妙衣、天の曼陀羅華、摩訶曼陀羅華等を以て、仏に供養す。散ずる所の天衣、虚空の中に住して、而も自ら廻転す。諸天の伎楽百千万種、虚空の中に於て一時に倶に作し、衆の天華を雨らす。而も是言を作さく、「仏、昔波羅奈に於て初めて法輪を転じ、今乃ち復無上最大の法輪を転じたまふ。」と。

 爾時、諸の天子、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言さく、

 


  昔波羅奈に於て 四諦の法輪を転じ
  分別して諸法の 五衆の生滅を説きたまひき
  今復最妙 無上の大法輪を転じたまふ
  是法は甚だ深奥にして 能く信ずる者あること少なり


  我等昔より来 数数(しばしば)世尊の説を聞きたてまつるに
  未だ曾て是の如き 深妙の上法を聞かず
  世尊是法を説きたまふに 我等皆随喜す
  大智舎利弗 今尊記を受くることを得たり


  我等も亦是の如く 必ず当に作仏して
  一切世間に於て 最尊にして上有ること無きことを得べし
  仏道は思議しがたし 方便して宜しきに随ひて説きたまふ
  我が所有の福業 今世若しは過世


  及び見仏の功徳 尽く仏道に廻向す

 


 爾時、舎利弗、仏に白して言さく、「世尊、我今復疑悔なし。親(まのあた)り仏の前に於て阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得たり。是の諸の千二百の心自在なる者、昔学地に住せしに、仏、常に教化して言はく、「我が法は能く生老病死を離れて涅槃を究竟す」と。是の学、無学の人、亦各自ら我見及び有無の見等を離れたるを以て、涅槃を得たりと謂へり。而るに今世尊の前に於て、未だ聞かざる所を聞きて、皆疑惑に堕しぬ。善哉、世尊。願くば四衆の為に其の因縁を説き、疑悔を離れしめたまへ。

 爾時、仏、舎利弗に告げたまはく、「我先に、諸仏世尊の種々の因縁、譬喩、言辞を以て方便して法を説きたまふは、皆阿耨多羅三藐三菩提の為なりと言はずや、是の諸の所説は、皆菩薩を化せんが為の故なり。然も舎利弗、今当に復譬喩を以て更に此義を明すべし。諸の智有らん者は、譬喩を以て解ることを得ん。舎利弗、若し国邑聚落に大長者有らん。其年衰邁して、財富無量なり。多く田宅及び諸の僮僕有り。其家広大にして唯一門のみ有り。諸の人衆多くして、一百、二百、乃至五百人其中に止住せり。堂閣朽ち故り、墻壁頽れ落ち、柱根腐ち敗れ、梁棟傾き危し、周匝して倶時に忽然に火起りて舎宅を焚焼す。長者の諸子、若しは十、二十、或は三十に至るまで、此宅の中に在り。 長者、是大火の四面より起るを見て、即ち大いに驚怖して是の念を作さく、「我能く此所焼の門より安穏に出づることを得たりと雖も、而も諸子等は、火宅の内に於て、嬉戲に楽著して、覚えず知らず驚かず怖じず。火来たりて身を逼め、苦痛己を切むれども、心厭患せず。出でんと求むる意なし」舎利弗、是の長者是思惟を作さく、「我身手に力有り。当に衣こくを以てや、若しは机案を以てや、舎より之を出だすべき」復更に思惟すらく、「是舎唯一門のみ有り、而も復狭小なり。諸子幼稚にして未だ識る所有らず、戲処に恋著せり。或は当に堕落して、火に焼かるべし。我当に為に怖畏の事を説くべし。此舎已に焼く、宜しく時に疾く出でて、火に焼害せられしむること無かるべし」是念を作し已りて、思惟する所の如く具さに諸子に告ぐらく、「汝等速かに出でよ」と。父、憐愍して善言をもって誘喩すと雖も、而も諸子等は嬉戲に楽著し、肯て信受せず。驚かず畏れず。了(つい)に出づる心無し。亦復何者か是れ火、何者か為れ舎、云何なるをか失ふと為すを知らず。但東西に走り戲れて、父を視て已みぬ。爾の時、長者即ち是念を作さく、「此の舎已に大火に焼かる。我及び諸子、若し時に出でずんば必ず焚かれん。我今当に方便を設けて、諸子等をして斯の害を免るることを得しむべし」父、諸子の先心に各好む所有る、種々の珍玩奇異の物には情必ず楽著せんと知りて、之に告げて言はく、「汝等が玩(もてあそ)び好む所は、希有にして得難し。汝若し取らざれば後に必ず憂悔せん。此の如き種々の羊車、鹿車、牛車、今門外に在り。以て遊戲すべし。汝等此火宅より宜しく速かに出で来るべし。汝が所欲に随ひて皆当に汝に与うべし」爾の時、諸子、父の所説の珍玩の物を聞くに、其願に適えるが故に、心各勇鋭して、互に相推排し、競うて共に馳走し、争ひて火宅を出づ。 是時、長者、諸子等の安穏に出づることを得て、皆四衢道の中の露地に於て坐して、復障碍無きを見て、其心泰然として、歓喜踊躍す。時に諸子等、各々父に白して言さく、「父先に許したまふ所の玩好の具の羊車、鹿車、牛車、願わくば時に賜与したまへ」舎利弗、爾の時、長者、各諸子に等一の大車を賜ふ。其車高広にして、衆宝荘校せり。周匝して、欄楯ありて、四面に鈴を懸けたり。又其上に於てけん蓋を張り設けたり。亦珍奇の雑宝を以て之を厳飾せり。宝縄絞絡して、諸の華瓔を垂れ、婉延を重ね敷き、丹枕を安置す。駕するに白牛を以てす。膚色充潔に、形体姝好にして、大筋力有り。行歩平正にして、其疾きこと風の如し。又僕従多くして、之を侍衛せり。所以は何ん。是大長者は財富無量にして、種々の諸蔵に悉く皆充溢せり。而して是念を作さく、「我が財物極まり無し、まさに下劣の小車を以て諸子等に与ふべからず。今此幼童は皆是れ吾が子なり。愛するに偏黨無し。我是の如き七宝の大車有りて其の数無量なり。当に等心に各各に之を与ふべし。宜しく差別すべからず。所以は何ん。我が此物を以て周く一国に給すとも、猶匱しからず、何に況んや諸子をや」是時、諸子、各大車に乗りて未曾有なることを得て、本の所望に非ざるが若し。舎利弗、汝が意に於て云何。是長者等しく諸子に珍宝の大車を与ふること、寧ろ虚妄有りや不や。」舎利弗の言さく、「不なり、世尊。是長者、但諸子をして火難を免れ其の躯命を全うすることを得しむとも、これ虚妄に非ず。何を以ての故に。若し身命を全うすれば、便ち為れ已に玩好の具を得たるなり。況んや復方便して彼の火宅より而も之を抜済せんをや。世尊、若し是長者、乃至最小の一車を与えずとも、猶虚妄ならず。何を以ての故に。是長者、先に是意を作さく、「我方便を以て子をして出づることを得せしめん」と。是因縁を以て虚妄無し。何に況んや長者自ら財富無量なりと知りて、諸子を饒益せんと欲して、等しく大車を与ふるをや。」

 仏、舎利弗に告げたまはく、 「善い哉善い哉、汝が言ふ所の如し。舎利弗、如来も亦復是の如し。則ち為れ一切世間の父なり。諸の怖畏、衰悩、憂患、無明、暗蔽に於て永く尽くして余無し。而も悉く無量の知見、力、無所畏を成就し、大神力及び智慧力有りて、方便・智慧波羅蜜を具足せり。大慈大悲、常に懈倦なく、恒に善事を求めて一切を利益す。而も三界の朽ち故りたる火宅に生ずることは、衆生の生老病死、憂悲苦悩、愚痴暗蔽、三毒の火を度して、教化して、阿耨多羅三藐三菩提を得しめんが為なり。諸の衆生を見るに生老病死、憂悲苦悩に焼煮せられ、亦五欲財利を以ての故に、種々の苦を受く。又貧著し追求するを以ての故に、現には衆苦を受け、後には地獄、畜生、餓鬼の苦を受く。若し、天上に生れ、及び人間に在りては、貧窮困苦、愛別離苦、怨憎会苦、是の如き等の種々の諸苦あり。衆生其中に没在して、歓喜し遊戲して、覚えず知らず。驚かず怖ぢず。亦厭ふことを生さず。解脱を求めず。此三界の火宅に於て、東西に馳走して、大苦に遭ふと雖も、以て患ひと為せず。舎利弗、仏、此れを見已りて、便ち是の念を作さく、「我は為れ衆生の父なり、まさに其の苦難を抜き、無量無辺の仏の智慧の楽を与へて、其れをして遊戲せしむべし」舎利弗、如来復是の念を作さく、「若し我但神力及び智慧力を以て、方便を捨てて、諸の衆生の為に、如来の知見、力、無所畏を讃めば、衆生是れを以て得度すること能はず。所以は何ん。是の諸の衆生、未だ生老病死、憂悲苦悩を免れず。而も三界の火宅に焼かる。何に由ってか能く仏の智慧を解らん。舎利弗、彼長者の復身手に力有りと雖も、而も之を用ひず、但慇懃の方便を以て諸子の火宅の難を勉済して、然る後に各珍宝の大車を与ふるが如く、如来も亦復是の如し。力、無所畏有りと雖も、而も之を用ひず。但智慧方便を以て三界の火宅より衆生を抜済せんとして、為に三乗の声聞、辟支仏、仏乗を説く。而も是言を作さく、「汝等楽ひて三界の火宅に住することを得ること莫れ。麁弊の色声香味触を貧ること勿れ。若し貧著して愛を生ぜば、則ち焼かれなん。汝等速かに三界を出でて、当に三乗の声聞、辟支仏、仏乗を得べし。我今汝が為に此の事を保任す。終に虚(むな)しからじ。汝等但当に勤修精進すべし」如来是の方便を以て、衆生を誘進す。復是の言を作さく、「汝等当に知るべし、此三乗の法は、皆是れ聖の称歎したまふ所なり。自在無繋にして、依求する所無し。是三乗に乗じて、無漏の根、力、覚、道、禅定、解脱、三昧等を以て、而も自ら娯楽して、便ち無量の安穏快楽を得べし」舎利弗、若し衆生有り、内に智性有りて、仏世尊に従ひて、法を聞きて信受し、慇懃に精進し、速かに三界を出でんと欲して、自ら涅槃を求む。是を声聞乗と名く。彼の諸子の羊車を求むるが為に火宅を出づるが如し。若し衆生有り、仏世尊に従ひて、法を聞きて信受し、慇懃に精進し、自然の慧を求め、独善寂を楽ひ、深く諸法の因縁を知る。是を辟支仏乗と名く。彼の諸子の鹿車を求むるが為に火宅を出づるが如し。若し衆生有り、仏世尊に従ひて、法を聞きて信受し、勤修精進して一切智、仏智、自然智、無師智、如来の知見、力、無所畏を求め、無量の衆生を愍念安楽し、天人を利益し、一切を度脱す。是を大乗と名く。菩薩此乗を求むるが故に名けて摩訶薩と為す。彼の諸子の牛車を求むるが為に火宅を出づるが如し。舎利弗、彼の長者の、諸子等の安穏に火宅を出づることを得て無畏の処に到るを見て、自ら財富無量なることを惟うて、等しく大車を以て諸子に賜えるが如く、如来も亦復是の如し。これ一切衆生の父なり。若し無量億千の衆生の、仏教の門を以て、三界の苦、怖畏の険道を出で、涅槃の楽を得るを見ては、如来、爾の時、便ち是念を作さく、「我に無量無辺の智慧、力、無畏等の諸仏の法蔵有り。是の諸の衆生は、皆是れ我が子なり。等しく大乗を与ふべし。人として独り滅度を得ること有らしめじ。皆如来の滅度を以て之を滅度せん」是の諸の衆生の三界を脱(のが)れたる者には、悉く諸仏の禅定、解脱等の娯楽の具を与ふ。皆是れ一相一種にして、聖の称歎したまふ所なり。能く浄妙第一の楽を生ず。舎利弗、彼長者の、初め三車を以て諸子を誘引し、然る後但大車の宝物荘厳し安穏第一なるを与ふるに、然も彼長者虚妄の咎無きが如く、如来も亦復是の如し。虚妄あること無し。初め三乗を説きて衆生を引導し、然る後但大乗を以て之を度脱す。何を以ての故に、如来は無量の智慧、力、無所畏、諸法の蔵有りて、能く一切衆生に大乗の法を与ふ。但尽くして能く受けず。舎利弗、是因縁を以て当に知るべし、諸仏方便力の故に、一仏乗に於て、分別して三と説きたまふ。」

 仏、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、


  譬えば長者 一の大宅有らん
  其の宅久しく故りて 復頓弊し
  堂舎高く危く 柱根摧け朽ち
  梁棟傾き斜み 基陛頽れ毀れ


  墻壁やぶれさけ 泥塗褫け落ち
  覆苫乱れ墜ち 椽梠差い脱け
  周障屈曲して 雑穢充遍せり
  五百人有りて 其の中に止住す


  鵄梟G鷲 烏鵲鳩鴿
  蚖蛇蝮蠍 蜈蚣蚰蜒
  守宮百足 鼬貍鼷鼠
  諸の悪虫の輩 交横馳走す


  屎尿の臭き処 不浄流れ溢ち
  蜣蜋諸虫 而も其の上に集まれり
  狐狼野干 咀嚼践蹋し
  死屍をさい齧して 骨肉狼藉し


  是れに由って群狗 競ひ来たりて搏撮し
  飢羸慞惶して 処処に食を求め
  闘諍摣掣し 啀ざい嘷吠す
  其舎の恐怖 変状是の如し


  処処に皆 魑魅魍魎有り
  夜叉悪鬼 人の肉を食噉す
  毒虫の属 諸の悪禽獣
  孚乳産生して 各自ら蔵し護る


  夜叉競ひ来たりて 争ひ取りて之を食す
  之を食すること既に飽きぬれば 悪心転た熾んにして
  闘諍の声 甚だ怖畏すべし
  鳩槃荼鬼 土埵に蹲踞せり


  或時は地を離るること 一尺二尺
  往返遊行し 縦逸に嬉戲す
  狗の両足を捉りて 撲ちて声を失はしめ
  脚を以て頚(くび)に加へて 狗を怖して自ら楽む


  復諸鬼あり 其の身長大に
  裸形黒痩にして 常に其中に住せり
  大悪声を発して 叫び呼んで食を求む
  復諸鬼あり 其の咽針の如し


  復諸鬼あり 首牛頭の如し
  或は人の肉を食し 或は復狗をくらふ
  頭髪蓬乱して 残害兇険なり
  飢渇に逼まられて 叫喚馳走す


  夜叉餓鬼 諸の悪鳥獣
  飢急にして四に向かひ 窓ゆうを窺(うかが)ひ看る
  是の如き諸難 恐畏無量なり
  是の朽ち故りたる宅は 一人に属せり


  其人近く出で 未だ久しからざるの間に
  後に宅舎に 忽然に火起り
  四面一時に 其の焔倶に熾んなり
  棟梁椽柱 爆声震裂し


  摧け折れ堕ち落ちて 墻壁崩れ倒る
  諸の鬼神等 声を揚げて大に叫び
  G鷲諸鳥 鳩槃荼等
  周章惶怖して 自ら出づること能はず


  悪獣毒虫 孔穴に蔵れ竄れ(かくれかくれ)
  毘舎闍鬼 亦其中に住せり
  福徳薄きが故に 火に逼められ
  共に相残害して 血を飲み肉をくらふ


  野干の属 並びに已に前に死す
  諸の大悪獣 競い来たりて食噉す
  臭煙蓬して 四面に充塞す
  蜈蚣蚰蜒 毒蛇の類


  火に焼かれて 争ひ走りて穴を出づ
  鳩槃荼鬼 随ひ取りて食らふ
  又諸の餓鬼 頭上に火燃へ
  飢渇熱悩して 周章悶走す


  其宅是の如く 甚だ怖畏すべし
  毒害火災 衆難一に非ず
  是時に宅主 門外に在りて立ちて
  有人の言うを聞く 汝が諸子等


  先に遊戲せるに因りて 此宅に来入し
  稚小無知にして 歓娯楽著せり
  長者聞き已りて 驚いて火宅に入る
  方に宜しく救済して 焼害なからしむべし


  諸子の告諭して 衆の患難を説く
  悪鬼毒虫 災火蔓莚なり
  衆苦次第に 相続して絶えず
  毒蛇・蝮 及び諸の夜叉


  鳩槃荼鬼 野干狐狗
  G鷲鵄梟 百足の属
  飢渇の悩急にして 甚だ怖畏すべし
  此の苦すら処し難し 況んや復大火をやと


  諸子無知にして 父の誨(おしへ)を聞くと雖も
  猶楽著して 嬉戲すること已まず
  是時に長者 而も是の念を作さく
  諸子此の如く 我が愁悩を益す


  今此の舎宅は 一として楽むべきなし
  而るに諸子等 嬉戲に耽湎して
  我が教へを受けず 将に火に害せられんとす
  即便思惟して 諸の方便を設けて


  諸子等に告ぐ 我種々の
  珍玩の具の 妙宝の好車あり
  羊車鹿車 大牛の車なり
  今門外に在り 汝等出で来れ


  吾汝等が為に 此の車を造作せり
  意の所楽に随ひて 以て遊戲すべし
  諸子 此の如き諸の車を説くを聞きて
  即時に奔競して 馳走して出で


  空地に到りて 諸の苦難を離る
  長者子の 火宅を出づることを得て
  四衢に住するを見て 師子の座に坐せり
  而も自ら慶んで言はく 我今快楽なり


  此の諸子等 生育すること甚だ難し
  愚小無知にして 険宅に入れり
  諸の毒虫 魑魅多くして畏るべし
  大火猛焔 四面より倶に起れり


  而るに此の諸子 嬉戲に貧楽せり
  我已に之を救ひて 難を脱(まぬが)るることを得しめたり
  是故に諸人 我今快楽なりと
  爾の時諸子 父の安坐せるを知りて


  皆父の所に詣でて 而も父に白して言さく
  願わくば我等に 三種の宝車を賜へ
  前に許したまふ所の如き 諸子出で来れ
  当に三車を以て 汝が所欲に随ふべしと


  今正しく是れ時なり 唯給与を垂れたまへ
  長者大いに富んで 庫蔵衆多なり
  金銀瑠璃 硨磲碼碯
  衆の宝物を以て 諸の大車を造れり


  荘校厳飾し 周匝して欄楯あり
  四面に鈴を懸け 金縄絞絡せり
  真珠の羅網 其上に張り施し
  金華の諸瓔 処処に垂れ下せり


  衆彩雑飾し 周匝圍繞せり
  柔軟の嘱\ 以て茵蓐(しとね)と為し
  上妙の細じょう 価直千億にして
  鮮白浄潔なる 以て其上に覆へり


  大白牛有り 肥壮多力にして
  形体姝好なり 以て宝車を駕せり
  諸の賓従多くして 而も之を侍衛せり
  是妙車を以て 等しく諸子に賜ふ


  諸子是時 歓喜踊躍して
  是宝車に乗りて 四方に遊び
  嬉戲快楽して 自在無碍ならんが如し
  舎利弗に告ぐ 我も亦是の如し


  衆聖の中の尊 世間の父なり
  一切衆生は 皆是れ吾が子なり
  深く世楽に著して 慧心有ること無し
  三界は安きこと無し 猶し火宅の如し


  衆苦充満して 甚だ怖畏すべし
  常に生老 病死の憂患あり
  是の如き等の火 熾然として息まず
  如来は已に 三界の火宅を離れて


  寂然として閑居し 林野に安処せり
  今此の三界は 皆是れ我が有なり
  其の中の衆生は 悉く是れ吾が子なり
  而も今此処は 諸の患難多し


  唯我一人のみ 能く救護を為す
  復教詔すと雖も 而も信受せず
  諸の欲染に於て 貧著深きが故に
  是を以て方便して 為に三乗を説きて


  諸の衆生をして 三界の苦を知らしめ
  出世間の道を 開示し演説す
  是の諸子等 若し心決定しぬれば
  三明 及び六神通を具足し


  縁覚 不退の菩薩を得ること有り
  汝舎利弗 我衆生の為に
  此譬喩を以て 一仏乗を説く
  汝等若し能く 是語を信受せば


  一切皆当に 仏道を成ずることを得べし
  是乗は微妙にして 清浄第一なり
  諸の世間に於て 為(さだ)めて上有ること無し
  仏の悦可したまふ所 一切衆生の


  まさに称讃し 供養し礼拝すべき所なり
  無量億千の 諸力解脱
  禅定智慧 及び仏の余の法あり
  是の如きの乗を得しめて 諸子等をして


  日夜劫数に 常に遊戲することを得
  諸の菩薩 及び声聞衆と
  此の宝乗に乗じて 直に道場に至らしむ
  是因縁を以て 十方に諦かに求むるに


  更に余乗なし 仏の方便を除く
  舎利弗に告ぐ 汝諸人等は
  皆是れ吾が子なり 我は則ち是れ父なり
  汝等累劫に 衆苦に焼かる


  我皆済抜して 三界を出でしむ
  我先に 汝等滅度すと説くと雖も
  但生死を尽くして 而も実には滅せず
  今作すべき所は 唯仏の智慧なり


  若し菩薩有らば 是の衆の中に於て
  能く一心に 諸仏の実法を聴け
  諸仏世尊は 方便を以てしたまふと雖も
  所化の衆生は 皆是れ菩薩なり


  若し人小智にして 深く愛欲に著せる
  此れ等を為ての故に 苦諦を説きたまふ
  衆生心喜んで 未曾有なることを得
  仏の説きたまふ苦諦は 真実にして異ること無し


  若し衆生有りて 苦の本を知らず
  深く苦の因に著して 暫くも捨つること能はず
  是れ等の為の故に 方便して道を説きたまふ
  諸苦の所因は 貪欲を本と為す


  若し貪欲を滅すれば 依止する所無し
  諸苦を滅尽するを 第三の諦と名く
  滅諦の為の故に 道を修行す
  諸の苦縛を離るるを 名けて解脱と為す


  是の人何に於てか 而も解脱を得る
  但虚妄を離るるを 解脱を得と名く
  其れ実には未だ 一切の解脱を得ず
  仏是人は 未だ実に滅度せずと説きたまふ


  斯の人未だ 無上道を得ざるが故に
  我が意にも 滅度に至らしめたりと欲わず
  我は為れ法王 法に於て自在なり
  衆生を安穏ならしめんが故に 世に現ず


  汝舎利弗 我が此法印は
  世間を利益せんと 欲するが為の故に説く
  所遊の方に在りて 妄りに宣伝すること勿れ
  若し聞くこと有らん者 随喜し頂受せば


  当に知るべし是の人は 阿び跋致なり
  若し此経法を 信受すること有らん者は
  是の人は已に曾て 過去の仏を見たてまつりて
  恭敬し供養し 亦是法を聞けるなり


  若し人能く 汝が所説を信ずること有らば
  則ち為れ我を見 亦汝
  及び比丘僧 並びに諸々の菩薩を見るなり
  斯の法華経は 深智の為に説く


  浅識は之を聞きて 迷惑して解らず
  一切の声聞 及び辟支仏は
  此の教の中に於て 力及ばざる所なり
  汝舎利弗すら 尚ほ此の経に於ては


  信を以て入ることを得たり 況んや余の声聞をや
  其余の声聞も 仏語を信ずるが故に
  此経に随順す 己が智分に非ず
  又舎利弗 僑慢懈怠


  我見を計する者には 此経を説くことなかれ
  凡夫の浅識にして 深く五欲に著せるは
  聞くとも解すること能はじ 亦為に説くこと勿かれ
  若し人信ぜずして 此経を毀謗せば


  則ち一切 世間の仏種を断ぜん
  或は復顰蹙して 疑惑を懐かん
  汝当に 此の人の罪報を説かんを聴くべし
  若しは仏の在世 若しは滅度の後


  其れ斯の如き 経典を誹謗すること有らん
  経を読誦し 書持すること有らん者を見て
  軽賎憎嫉して 而も結恨を懐かん
  此人の罪報を 汝今復聴くべし


  其人命終して 阿鼻獄に入らん
  一劫を具足して 劫尽きなば更生れん
  是の如く展転して 無数劫に至らん
  地獄より出でては 当に畜生に堕つべし


  若し狗野干としては 其の形こつ痩し
  りたん疥癩にして 人に触にょうせられ
  又復人に 悪くみ賎しまれん
  常に飢渇に困(くるし)んで 骨肉枯竭せん


  生きては楚毒を受け 死しては瓦石を被らん
  仏種を断ずるが故に 斯の罪報を受けん
  若しはたく駝と作り 或は驢の中に生れて
  身に常に重きを負ひ 諸の杖捶を加えられんに


  但水草をのみ念うて 余は知る所無けん
  斯の経を謗するが故に 罪を獲ること是の如し
  有は野干と作りて 聚落に来入せば
  身体疥癩ありて 又一目無からんに


  諸の童子に 打擲せられ
  諸の苦痛を受けて 或時は死を致さん
  此に於て死し已りて 更に蟒身を受けん
  其形長大にして 五百由旬ならん


  聾騃無足にして 宛転腹行し
  諸の小虫に 唼食せられん
  昼夜苦を受くるに 休息あること無けん
  斯の経を謗するが故に 罪を獲ること是の如し


  若し人と為ることを得ては 諸根暗鈍にして
  矬陋攣躄 盲聾背傴ならん
  言説する所有らんに 人信受せず
  口の気(いき)常に臭く 鬼魅に著せられん


  貧窮下賎にして 人に使はれ
  多病痟痩にして 依怙する所無く
  人に親附すと雖も 人意に在かじ
  若し所得有らば 尋いで復忘失せん


  若し医道を修して 方に順じて病を治せば
  更に他の疾を増し 或は復死を致さん
  若し自ら病有らば 人の救療するもの無く
  設ひ良薬を服すとも 而も復増劇せん


  若しは他の反逆し 抄劫し窃盗せん
  是の如き等の罪 横に其の殃(わざわい)に羅らん
  斯の如き罪人は 永く仏
  衆聖の王の 説法教化したまふを見たてまつらじ


  斯の如きの罪人は 常に難所に生れん
  狂聾心乱にして 永く法を聞かじ
  無数劫の 恒河沙の如きに於て
  生れては輒(すなわ)ち聾唖にして 諸根不具ならん


  常に地獄に処すること 園観に遊ぶが如く
  余の悪道に在ること 己が舎宅の如く
  駝驢猪狗 是れ其の行処ならん
  斯の経を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し


  若し人と為ることを得ては 聾盲瘖瘂にして
  貧窮諸衰 以て自ら荘厳し
  水腫乾痟 疥癩癰疽
  是の如き等の病 以て衣服と為(せ)


  身常に臭きに処して 垢穢不浄に
  深く我見に著して 瞋恚を増益し
  淫欲熾盛にして 禽獣を択ばじ
  斯の経を謗ずるが故に 罪を獲ること是の如し


  舎利弗に告ぐ 斯の経を謗せん者
  若し其の罪を説かんに 劫を窮むとも尽きせじ
  是因縁を以て 我故に汝に語る
  無智の人の中に 此経を説くことなかれ


  若し利根にして 智慧明了に
  多聞強識にして 仏道を求むる者あらん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  若し人曾て 億百千の仏を見たてまつりて


  諸の善本を植え 深心堅固ならん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  若し人精進して 常に慈心を修し
  身命を惜まざらんに 乃ち為に説くべし


  若し人恭敬して 異心あること無く
  諸の凡愚を離れて 独り山沢に処せん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  又舎利弗 若し人有りて


  悪知識を捨てて 善友に親近するを見ん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  若し仏子の 持戒清潔にして
  浄明珠の如くにして 大乗経を求むるを見ん


  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  若し人瞋り無く 質直柔軟にして
  常に一切を愍み 諸仏を恭敬せん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし


  復仏子の 大衆の中に於て
  清浄の心を以て 種々の因縁
  譬喩の言辞もて 説法すること無碍なる有らん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし


  若し比丘の 一切智の為に
  四方に法を求めて 合掌し頂受し
  但楽ひて 大乗経典を受持して
  乃至 余経の一偈をも受けざる有らん


  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  人の至心に 仏舎利を求むるが如く
  是の如く経を求め 得已りて頂受せん
  其人復 余経を志求せず


  亦未だ曾て 外道の典籍を念ぜざらん
  是の如きの人に 乃ち為に説くべし
  舎利弗に告ぐ 我是相にして
  仏道を求むる者を説かんに 劫を窮(きわ)むとも尽きせじ


  是の如き等の人は 則ち能く信解せん
  汝当に為に 妙法華経を説くべし

 

 

 

 

妙法蓮華経 信解品 第四

 

 爾時(そのとき)、慧命須菩提、摩訶迦旃延、摩訶迦葉、摩訶目建連、仏に従ひたてまつりて聞ける所の未曾有の法と、世尊の舎利弗に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたまふとに、希有の心を発し、歓喜し踊躍す。即ち座より起ちて衣服を整え、偏(ひとえ)に右の肩を袒(はだぬ)ぎ、右の膝を地に著け、一心に合掌し、曲躬恭敬し、尊顔を瞻仰して、仏に白して言さく、「我等僧の首に居して、年並びに朽邁(くまい)せり。自ら已に涅槃を得て、堪忍する所無しと謂うて、復阿耨多羅三藐三菩提を進み求めず。世尊、往昔の説法既に久し。我時に座に在りて、身体疲懈し、但空、無相、無作を念じて、菩薩の法の神通に遊戲し、仏国土を浄め、衆生を成就するに於て、心に喜楽せざりき。所以は何ん、世尊、我等をして、三界を出で、涅槃の証を得しめたまへり。又今我等、年已に朽邁して、仏の菩薩を教化したまふ阿耨多羅三藐三菩提に於て、一念の好楽の心を生ぜざりき。我等今仏の前に於て、声聞に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたまふを聞きて、心甚だ歓喜し、未曾有なることを得たり。謂はざりき、於今忽然に希有の法を聞くことを得んとは。深く自ら慶幸す、大善利を獲たりと。無量の珍宝、求めざるに自ら得たり。

 世尊、我等今者楽わくば譬喩を説きて以て斯の義を明かさん。譬えば、人有りて、年既に幼稚にして父を捨てて逃逝し、久しく他国に住して、或は十二十より、五十歳に至る。年既に長大にして、加(ますます)復窮困し、四方に馳騁して以て衣食を求め、漸漸に遊行して偶々本国に向ひぬ。其父、先より来、子を求むるに得ずして、一城に中止す。其家大いに富んで、財宝無量なり。金、銀、瑠璃、珊瑚、琥珀、頗黎珠等、其諸の倉庫に悉く皆盈溢せり。多く僮僕、臣佐、吏民有りて、象馬、車乗、午羊無数なり。出入息利すること乃ち他国に遍し。商估賈客亦甚だ衆多なり。時に貧窮の子、諸の聚落に遊び、国邑に経歴して遂に其父の所止の城に到りぬ。父毎に子を念ふ。子と離別して五十余年、而も未だ曾て人に向ひて此の如きの事を説かず。但自ら思惟して心に悔恨を懐く。、自ら念わく、「老朽して多く財物あり。金銀珍宝、倉庫に盈溢すれども、子息有ること無し。一旦に終没しなば、財物散失して委付する所無けん」是を以て慇懃に毎に其の子を憶ふ。復是念を作さく、「我若し子を得て財物を委付せば、坦然快楽にして、復憂慮無けん」と。

 世尊、爾の時、窮子、傭賃展転して、父の舎に遇い到りぬ。門の側に住立して遥かに其父を見れば、師子の床に踞して宝几足を承け、諸の婆羅門、刹利、居士、皆恭敬し圍繞せり。真珠の瓔珞の価直千万なるを以て其身を荘厳し、吏民僮僕、手に白払を執りて、左右に侍立せり。覆ふに宝帳を以てし、諸の華旛を垂れ、香水を地に灑ぎ、衆の名華を散じ、宝物を羅列して、出内取与す。是の如き等の種々の厳飾有りて威徳特尊なり。窮子、父の大力勢有るを見て、即ち恐怖を懐きて、此に来至せることを悔ゆ。窃(ひそか)かに是の念を作さく、「此れ或は是れ王か、或は是れ王と等しきか、我が傭力して物を得べきの処に非じ。如かじ貧里に往至して肆力地有りて衣食得易からんには。若し久しく此に住せば或は逼迫せられん、強ひて我をして作さしめんか」と。是念を作し已りて、疾く走りて去りぬ。時に富める長者、師子の座に於て、子を見て便ち識りぬ。心大いに歓喜して即ち是の念を作さく、「我が財物庫蔵今付する所有り。我常に此子を思念すれども之を見るに由なし。而るに忽ちに自ら来れり。甚だ我が願に適へり。我年朽ちたりと雖も、猶故貧惜す」即ち傍人を遣はして、急に追うて将(ひき)いて還(かへ)らしむ。爾の時、使者、疾く走り往きて促ふ。窮子、驚愕して、怨なりと称して大いに喚ばふ、「我相犯さず、何ぞ促へらるることを為るや」使者之を執ふること愈急にして、強ひて牽将(ひき)いて還る。時に窮子、自ら念はく、「罪無くして囚執へらる、此れ必定して死せん」と。転た更に惶怖し、悶絶して地に躄(たふ)る。父遥かに之を見て使ひに語りて言はく、「此の人を須ひじ。強ひて将(ひき)いて来ること勿れ。冷水を以て面に灑いで醒悟することを得せしめよ。復与に語ることなかれ」と。所以は何ん。父其子の志意下劣なるを知り、自ら豪貴にして子の為に難(はばか)らるるを知りて、審かに是れ子なりと知れども、而も方便を以て、他人に語りて、是れ我が子なりと云はず。使者之に語らく、「我今汝を放す。意の所趣に随へ」と。窮子、歓喜して未曾有なることを待(え)て、地より起ちて貧里に往至して、以て衣食を求む。

 爾時、長者、将に其子を誘引せんと欲して、方便を設けて、密かに二人の形色憔悴して、威徳無き者を遣はす。汝彼に詣りて徐く窮子に語るべし、「此に作処有り、倍して汝に直を与へんと。窮子若し許さば、将いて来して作さしめよ。若し何の所作をか欲すると言はば、便ち之に語るべし、汝を雇うことは糞を除(はら)はしめんとなり。我等二人亦汝と共に作さん」と。時に二りの使人即ち窮子を求むるに、既に已に之を得て具に上の事を陳(の)ぶ。爾の時、窮子先づ其価を取りて、尋いで与に糞を除う。其父、子を見て愍(あわれ)んで之を怪む。又他日を以て窓ゆうの中より遥かに子の身を見れば、羸痩憔悴して、糞土塵ぼん、汚穢不浄なり。即ち瓔珞、細軟の上服、厳飾の具を脱ぎて、更に麁弊垢膩の衣を著、塵土に身をけがし、右の手に除糞の器を執持して、畏るる所有るに状(かたど)れり。諸の作人に語らく、「汝等勤作して懈息することを得ること勿れ」と。方便を以ての故に、其子に近づくことを得つ。後に復告げて言はく、(つたな)きや男子、汝常に此にして作せ、復余に去ること勿れ。当に汝に価を加ふべし。諸の所須ある盆器、米麪、塩酢の属あり、自ら疑ひ難(はばか)ることなかれ。亦老弊の使人あり、須ひば相給せん。好く自ら意を安うせよ。我汝が父の如し、復憂慮すること勿かれ。所以は何ん。我年老大にして汝は小壮なり。汝常に作さん時、欺怠、瞋恨、怨言有ること無かれ。都て汝が此諸悪有らんを、余の作人の如くに見じ。今より已後、所生の子の如くせん」と。即時に長者、更に与(ため)に字を作り、之を名けて兒と為す。爾の時、窮子此遇を欣ぶと雖も、猶故自ら客作の賎人と謂えり。是れに由るが故に、二十年の中に於て常に糞を除はしむ。是れを過ぎて已後、心相体信して入出に難りなし。然れども其所止は猶お本処に在り。世尊、爾の時、長者疾有りて、自ら将に死せんこと久しからじと知りて、窮子に語りて言はく、「我今多く金銀珍宝有りて倉庫に盈溢せり。其中の多少、應(まさ)に取与すべき所、汝悉く之を知れ。我が心是の如し。当に此意を体(さと)るべし。所以は何ん、今我と汝と便ち為れ異らず。宜しく用心を加へて、漏失せしむること無かるべし」と。爾の時に窮子、即ち教勅を受けて、衆物の金銀珍宝及び諸の庫蔵を領知すれども、而も一餐をけ取するの意無し。然も其所止は故(なお)本処に在りて、下劣の心亦未だ捨つること能はず。復少時を経て、父、子の意漸く已に通泰して、大志を成就し、自ら先の心を鄙(いやし)んずと知りて、終らんと欲する時に臨んで、其の子に命じ、並に親族、国王、大臣、刹利、居士を会むるに、皆悉く已に集りぬ。即ち自ら宣べて言はく、「諸君、当に知るべし、此れは是れ我が子なり。我の所生なり。某の城中に於て、吾を捨てて逃走して、伶びょう辛苦すること五十余年、其本の名は某、我が名は某甲、昔本城に在りて憂ひを懐きて推(たづ)ね覓(もと)めき。忽ちに此間に於て遇い会して之を得たり。此れ実に我が子なり。我は実に其父なり。今吾が所有の一切の財物は皆是れ子の有なり。先に出内する所は是れ子の所知なり」世尊、是時、窮子、父の此言を聞きて、即ち大いに歓喜して、未曾有なることを得て、是の念を作さく、「我本心に希求する所有ること無かりき。今此宝蔵、自然にして至りぬといはんが若し」

 世尊、大富長者は則ち是れ如来なり。我等は皆仏子に似たり。如来常に我等を為れ子なりと説きたまへり。世尊、我等三苦を以ての故に、生死の中に於て、諸の熱悩を受け、迷惑無智にして小法に楽著せり。今日世尊、我等をして思惟して諸法の戲論の糞をけん除せしむ。我等中に於て勤加精進して、涅槃に至る一日の価を得たり。既に此を得已りて、心大いに歓喜して自ら以て足れりと為し、便ち自ら謂うて言はく、「仏法の中に於て、勤め精進するが故に、所得弘多なり」と。然るに世尊、先に我等が心弊欲に著し小法を楽ふを知ろしめして、便ち縦捨せられて、為に汝等当に如来の知見、宝蔵の分有るべしと分別したまはず。世尊、方便力を以て如来の智慧を説きたまふ。我等仏に従ひて、涅槃一日の価を得て、以て大いに得たりと為して、此の大乗に於て志求有ること無かりき。我等又如来の智慧に因りて、諸の菩薩の為に開示し演説しかども、而も自らは此れに於て志願有ること無かりき。所以は何ん。仏、我等が心に小法を楽ふを知ろしめして、方便力を以て我等に随ひて説きたもう。而も我等は真に是れ仏子なりと知らず。今我等方(まさ)に知んぬ、世尊は仏の智慧に於て悋惜(りんじゃく)したまふ所無し。所以は何ん。我等昔より来、真に是れ仏子なれども、而も但小法を楽ふ。若し我等大を楽ふの心有らましかば、仏則ち我が為に大乗の法を説きたまはまし。此経の中に唯一乗を説きたまふ。而も昔菩薩の前に於て、声聞の小法を楽ふ者を毀ししたまへども、然も仏、実には大乗を以て教化したまへり。是の故に我等説く、「本心に希求する所有ること無かりしかども、今法王の大宝、自然にして至れり。仏子の應に得べき所の如き者は皆已に之を得たり」と。」

 爾の時、摩訶迦葉、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言さく、

 

  我等今日 仏の音教を聞きて
  歓喜踊躍して 未曾有なることを得たり
  仏声聞 当に作仏することを得べしと説きたまふ
  無上の宝聚 求めざるに自ら得たり


  譬えば童子の 幼稚無識にして
  父を捨てて逃逝して 遠く他土に到りぬ
  諸国に周流すること 五十余年
  其の父憂念して 四方に推求す


  之を求むるに既に疲れて 一城に頓止す
  舎宅を造立して 五欲に自ら娯む
  其家巨に富んで 諸の金銀
  硨磲碼碯 真珠瑠璃多く


  象馬午羊 輦輿車乗
  田業僮僕 人民衆多なり
  出入息利すること 乃ち他国に遍く
  商估賈人 処として有らざること無し


  千万億の衆 圍繞し恭敬し
  常に王者に 愛念せらるることを為
  群臣豪族 皆共に宗重し
  諸の縁を以ての故に 往来する者衆し


  豪富なること是の如くにして 大力勢有り
  而も年朽邁して 益(ますます)子を憂念す
  夙夜に惟念すらく 死の時将に至らんとす
  痴子我を捨てて 五十余年


  庫蔵の諸物 当に之を如何がすべき
  爾の時窮子 衣食を求索して
  邑より邑に至り 国より国に至る
  或は得る所有り 或は得る所無し


  飢餓羸痩して 体には瘡癬を生ぜり
  漸次に経歴して 父の住せる城に到り
  傭賃展転して 遂に父の舎に至る
  爾の時長者 其門内に於て


  大宝帳を施して 師子の座に処し
  眷属圍繞し 諸人侍衛せり
  或は金銀 宝物を計算し
  財産を出内し 注記券疏する有り


  窮子父の 豪貴尊厳なるを見て
  謂はく是れ国王か 若しは国王と等しきかと
  驚怖して自ら怪む 何が故ぞ此に至れる
  覆かに自ら念言すらく 我若し久しく住せば


  或は逼迫せられ 強ひて駆って作さしめん
  是を思惟し已りて 馳走して去りぬ
  貧里を借問して 往いて傭作せんと欲す
  長者是時 師子の座に在りて


  遥かに其の子を見て 黙して之を識る
  即ち使者に勅して 追い捉え将いて来らしむ
  窮子驚き喚ばはりて 迷悶して地に躄(たふ)
  是人我を執(とら)ふ 必ず当に殺さるべし


  何ぞ衣食を用って 我をして此に至らしむるや
  長者子の 愚痴狭劣にして
  我が言を信ぜず 是れ父なりと信ぜざるを知りて
  即ち方便を以て 更に余人の


  眇目ざ陋にして 威徳無き者を遣はす
  汝之に語りて 云うべし当に相雇うて
  諸の糞穢を除はしむべし 倍して汝に価を与えんと
  窮子之を聞きて 歓喜し随ひ来たり


  為に糞穢を除ひ 諸の房舎を浄む
  長者やまどより 常に其子を見て
  子の愚劣にして 楽ひて鄙事を為すを念う
  是に於て長者 弊垢の衣を著


  除糞の器を執りて 子の所に往き到り
  方便して附近し 語ひて勤作せしむ
  既に汝が価を益し 並びに足に油を塗り
  飲食充足し 薦席厚暖ならしめん


  是の如く苦言すらく 汝当に勤作すべしと
  又以て軟語すらく 若(なんじ)を我が子の如くせんと
  長者智有りて 漸く入出せしめ
  二十年を経て 家事を執作せしむ


  其れに金銀 真珠頗黎
  諸物の出入を示して 皆知らしむれど
  猶門外に処し 草庵に止宿して
  自ら貧事を念う 我には此物無しと


  父子の心 漸く已に曠大なるを知りて
  財物を与へんと欲して 即ち親族
  国王大臣 刹利居士を聚めて
  此の大衆に於て 説くらく是れ我が子なり


  我を捨てて他行して 五十歳を経たり
  子を見てより来 已に二十年
  昔某の城に於て 是の子を失ひき
  周行し求索して 遂に此に来至せり


  凡(およ)そ我が所有の 舎宅人民
  悉く以て之に付す 其の所用を恣(ほしいまま)にすべしと
  子念わく昔は貧しくして 志意下劣なりき
  今は父の所に於て 大に珍宝


  並びに舎宅 一切の財物を獲たりと
  甚だ大いに歓喜して 未曾有なることを得るが如し
  仏も亦是の如し 我が小を楽ふを知ろしめして
  未だ曾て説きて 汝等作仏すべしと言はず


  而も我等をば 諸の無漏を得て
  小乗を成就する 声聞の弟子なりと説きたまふ
  仏我等に勅して 最上の道を説かしめたまふ
  此れを修習する者は 当に成仏することを得べしと


  我仏の教を承けて 大菩薩の為に
  諸の因縁 種々の譬喩
  若干の言辞を以て 無上道を説く
  諸の仏子等 我に従ひて法を聞きて


  日夜に思惟し 精勤修習す
  是の時に諸仏 即ち其れに記を授けたまふ
  汝来世に於て 当に作仏することを得べしと
  一切諸仏の 秘蔵の法をば


  但菩薩の為に 其の実事を演べて
  我が為には 斯の真要を説かざりき
  彼の窮子の 其の父に近くことを得て
  諸物を知ると雖も 心に希取せざるが如く


  我等 仏法の宝蔵を説くと雖も
  自ら志願無きこと 亦復是の如し
  我等内の滅を 自ら足ることを為たりと謂うて
  唯此の事を了(さと)りて 更に余事なし


  我等若し 仏の国土を浄め
  衆生を教化するを聞きては 都て欣楽無かりき
  所以は何ん 一切の諸法は
  皆悉く空寂にして 無生無滅


  無大無小 無漏無為なり
  是の如く思惟して 喜楽を生ぜず
  我等長夜に 仏の智慧に於て
  貪無く著無く 復志願無し


  而も自ら法に於て 是れ究竟なりと謂ひき
  我等長夜に 空法を修習して
  三界の 苦悩の患を脱がるることを得
  最後身 有余涅槃に住せり


  仏の教化したまふ所は 得道虚しからず
  則ち已に 仏の恩を報ずることを得たりと為す
  我等 諸の仏子等の為に
  菩薩の法を説きて 以て仏道を求めしむと雖も


  而も是法に於て 永く願楽無かりき
  導師捨てられたることは 我が心を観じたまふが故に
  初め勧進して 実の利有りと説きたまはず
  富める長者の 子の志の劣なるを知りて


  方便力を以て 其心を柔伏して
  然る後に乃ち 一切の財宝を付するが如く
  仏も亦是の如く 希有の事を現じたまふ
  小を楽ふ者なりと知ろしめして 方便力を以て


  其の心を調伏して 乃し大智を教えたまふ
  我等今日 未曾有なることを得たり
  先の所望に非ざるを 而も今自ら得ること
  彼の窮子の 無量の宝を得るが如し


  世尊我今 道を得果を得
  無漏の法に於て 清浄の眼を得たり
  我等長夜に 仏の浄戒を持ちて
  始めて今日に於て 其の果報を得


  法王の法の中に 久しく梵行を修して
  今無漏 無上の大果を得
  我等今者 真に是れ声聞なり
  仏道の声を以て 一切をして聞かしむべし


  我等今者 真に阿羅漢なり
  諸の世間 天人魔梵に於て
  普く其の中に於て 供養を受くべし
  世尊は大恩まします 希有の事を以て


  憐愍教化して 我等を利益したまふ
  無量億劫にも 誰か能く報ずる者あらん
  手足をもて供給し 頭頂をもて礼敬し
  一切もて供養すとも 皆報ずること能はじ


  若しは以て頂戴し 両肩に荷負して
  恒沙劫に於て 心を尽くして恭敬し
  又美膳 無量の宝衣
  及び諸の臥具 種々の湯薬を以てし


  午頭栴檀 及び諸の珍宝もて
  以て塔廟を起て 宝衣を地に布く
  斯の如き等の事 以て用て供養すること
  恒沙劫に於てすとも 亦報ずること能はじ


  諸仏は希有にして 無量無辺
  不可思議の 大神通力まします
  無漏無為にして 諸法の王なり
  能く下劣の為に 斯の事を忍び


  取相の凡夫に 宜しきに随ひて為に説きたまふ
  諸仏は法に於て 最も自在を得たまへり
  諸の衆生の 種々の欲楽
  及び其志力を知ろしめして 堪任する所に随ひて


  無量の喩を以て 而も為に法を説きたまふ
  諸の衆生の 宿世の善根に随ひ
  又成熟 未成熟の者を知ろしめし
  種々に籌量し 分別し知ろしめし已りて


  一乗の道に於て 宜しきに随ひて三と説きたまふ

 

 

 

 

妙法蓮華経 薬草喩品 第五

 

 爾時(そのとき)、世尊、摩訶迦葉及び諸の大弟子に告げたまはく、「善い哉善い哉、迦葉、善く如来の真実の功徳を説く、誠に所言の如し。如来、復無量無辺阿僧祇の功徳有り。汝等若し無量億劫に於て説くとも尽くすこと能はじ。迦葉、当に知るべし、如来は是れ諸法の王なり。若し所説有るは皆虚しからず。一切の法に於て、智の方便を以て之を演説す。其の説きたまふ所の法は、皆悉く一切智地に到らしむ。如来は一切諸法の帰趣する所を観知し、亦一切衆生の深心の所行を知りて、通達無碍なり。又諸法に於て究尽明了にして、諸の衆生に一切の智慧を示す。

 迦葉、譬えば、三千大千世界の山川渓谷の土地に生ひたる所の卉木、叢林及び諸の薬草、種類若干にして名色各異なり。密雲弥布して遍く三千大千世界に覆ひ、一時に等しくそそぐ。其沢(うるおひ)普く卉木、叢林及び諸の薬草の小根、小茎、小枝、小葉、中根、中茎、中枝、中葉、大根、大茎、大枝、大葉に洽(うるほ)ふ。諸樹の大小、上中下に随ひて各受くる所有り、一雲の雨らす所、其の種性に称(かな)ひて生長することを得て、華果敷け実る。一地の所生、一雨の所潤なりと雖も、而も諸の草木各差別有るが如し。 迦葉、当に知るべし、如来も亦復是の如し。世に出現すること大雲の起るが如く、大音声を以て普く世界の天、人、阿修羅に遍ぜること、彼の大雲の遍く三千大千国土に覆ふが如し。大衆の中に於て是言を唱ふ、「我は是れ如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊なり。未だ度せざる者をば度せしめ、未だ解せざる者をば解せしめ、未だ安んぜざる者をば安んぜしめ、未だ涅槃せざる者をば涅槃を得しむ。今世後世、実の如く之を知る。我は是れ一切知者、一切見者、知道者、開道者、設道者なり。汝等天人阿修羅衆、皆應に此に到るべし。法を聴かんが為の故なり」爾の時、無数千万億種の衆生、仏所に来至して法を聴く。

 如来時に、是衆生の、諸根の利鈍、精進懈怠を観じ、其の堪ふる所に随ひて、為に法を説くこと種々無量にして、皆歓喜し快く善利を得しむ。是諸の衆生、是法を聞き已りて現世安穏にして、後に善処に生じ、道を以て楽を受け、亦法を聞くことを得。既に法を聞き已りて諸の障碍を離れ、諸法の中に於て力の能ふる所に任せて、漸く道に入ることを得。彼の大雲の一切の卉木、叢林及び諸の薬草に雨るに、其の種性の如く、具足して潤を蒙り、各生長することを得るが如し。如来の説法は一相一味なり。謂ゆる解脱相、離相、滅相なり。究竟じて一切種智に至る。其れ衆生有りて如来の法を聞きて、若しは持ち読誦し、説の如く修行せんに、得る所の功徳自ら覚知せず。所以は何ん。唯如来のみ有りて、此衆生の種、相、体、性、何の事を念じ、何の事を思し、何の事を修し、云何に念じ、云何に思し、云何に修し、何の法を以て念じ、何の法を以て思し、何の法を以て修し、何の法を以て何の法を得といふことを知れり。衆生の種々の地に住せるを、唯如来のみ有りて如実に之を見て明了無碍なり。彼の卉木、叢林、諸の薬草等の、而も自ら上中下の性を知らざるが如し。如来は是れ一相一味の法なりと知れり。謂ゆる解脱相・離相・滅相・究竟涅槃・常寂滅相にして、終に空に帰す。仏、是れを知り已はれども、衆生の心欲を観じて、而も之を将護す。是故に即ち為に一切種智を説かず。

 汝等迦葉甚だ為れ希有なり。能く如来の随宜の説法を知りて、能く信じ能く受く。所以は何ん。諸仏世尊の随宜の説法は、解り難く知り難ければなり。」

 爾の時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 


  有を破する法王 世間に出現して
  衆生の欲に随ひて 種々に法を説く
  如来は尊重にして 智慧深遠なり
  久しく斯の要を黙して 務(いそ)ぎで速かに説かず


  智有るは若し聞きては 則ち能く信解し
  智無きは疑悔して 則ち永く失ふべし
  是の故に迦葉 力に随ひて為に説き
  種々の縁を以て 正見を得しむ


  迦葉当に知るべし 譬えば大雲の
  世間に起りて 遍く一切を覆ふに
  慧雲潤ひを含み 電光晃(て)り曜(かがや)
  雷声遠く震ひて 衆をして悦豫せしめ


  日光掩ひ蔽(かく)して 地の上清涼に
  靉靆垂布して 承攬すべきが如し
  其雨普等にして 四方に倶に下り
  流れそそぐこと無量にして 率土充ち洽う


  山川険谷の 幽邃に生ひたる所の
  卉木薬草 大小の諸樹
  百穀苗稼 甘蔗葡萄
  雨の潤す所 豊かにして足らざること無し


  乾地普く洽(うるお)い 薬木並びに茂り
  其雲より出づる所の 一味の水に
  草木叢林 分に随ひて潤を受く
  一切の諸樹 上中下等しく


  其大小に称(かな)ひて 各生長することを得
  根茎枝葉 華果光色
  一雨の及ぼす所 皆鮮沢することを得
  其体相 性の大小に分れたるが如く


  潤す所是れ一なれども 而も各滋茂するが如し
  仏も亦是の如し 世に出現すること
  譬えば大雲の 普く一切に覆ふが如し
  既に世に出でぬれば 諸の衆生の為に


  諸法の実を 分別し演説す
  大聖世尊 諸の天人
  一切衆の中に於て 而も是言を宣ぶ
  我は為れ如来 両足の尊なり


  世間に出づること 猶し大雲の如し
  一切の 枯槁の衆生を充潤して
  皆苦を離れ 安穏の楽
  世間の楽 及び涅槃の楽を得しむ


  諸の天人衆 一心に善く聴け
  皆應に此に到りて 無上尊を覲るべし
  我は為れ世尊なり 能く及ぶ者無し
  衆生を安穏ならしめんとして 故(ことさら)に世に現じて


  大衆の為に 甘露の浄法を説く
  其法は一味にして 解脱涅槃なり
  一の妙音を以て 斯の義を演暢す
  常に大乗の為に 而も因縁を作す


  我一切を観ずるに 普く皆平等なり
  彼此 愛憎の心有ること無し
  我貧著無く 亦限碍なし
  恒に一切の為に 平等に法を説く


  一人の為にするが如く 衆多も亦然なり
  常に法を演説して 曾て他事無し
  去来坐立 終に疲厭せず
  世間に充足すること 雨の普く潤すが如し


  貴賎上下 持戒毀戒
  威儀具足せる 及び具足せざる
  正見邪見 利根鈍根に
  等しく法雨を雨らして 而も懈倦無し


  一切衆生の 我が法を聞く者は
  力の受くる所に随ひて 諸の地に住す
  或は人天 転輪聖王
  釈梵諸王に処する 是れ小の薬草なり


  無漏の法を知りて 能く涅槃を得
  六神通を起し 及び三明を得
  独り山林に処し 常に禅定を行じて
  縁覚の証を得る 是れ中の薬草なり


  世尊の処を求めて 我当に作仏すべしと
  精進定を行ずる 是れ上の薬草なり
  又諸の仏子 心を仏道に専らにして
  常に慈悲を行じ 自ら作仏せんこと


  決定して疑ひ無しと知る 是れを小樹と名く
  神通に安住して 不退の輪を転じ
  無量億 百千の衆生を度する
  是の如き菩薩を 名けて大樹と為す


  仏の平等の説は 一味の雨の如し
  衆生の性に随ひて 受くる所同じからず
  彼の草木の 稟(う)くる所各異るが如し
  仏此喩を以て 方便して開示す


  種々の言辞をもて 一法を演説すれども
  仏の智慧に於ては 海の一滴の如し
  我法雨を雨らして 世間に充満す
  一味の法を 力に随ひて修行すること


  彼の叢林 薬草諸樹の
  其の大小に随ひて 漸く茂好を増すが如し
  諸仏の法は 常に一味を以て
  諸の世間をして 普く具足することを得


  漸次に修行して 皆道果を得しめたまふ
  声聞縁覚の 山林に処し
  最後身に住して 法を聞きて果を得る
  是れを薬草の 各増長することを得と名く


  若し諸の菩薩 智慧堅固にして
  三界を了達し 最上乗を求むる
  是れを小樹の 増長することを得と名く
  復禅に住して 神通力を得


  諸法の空を聞きて 心大いに歓喜し
  無数の光を放ちて 諸の衆生を度すること有る
  是れを大樹の 而も増長することを得と名く
  是の如く迦葉 仏の所説の法は


  譬えば大雲の 一味の雨を以て
  人華を潤して 各実を成ずることを得しむるが如し
  迦葉当に知るべし 諸の因縁
  種々の譬喩を以て 仏道を開示す


  是れ我が方便なり 諸仏も亦然なり
  今汝等が為に 最実事を説く
  諸の声聞衆は 皆滅度せるに非ず
  汝等が所行は 是れ菩薩の道なり


  漸漸に修学して 悉く当に成仏すべし

 


 

 

妙法蓮華経 授記品 第六

 

 爾時(そのとき)、世尊、是の偈を説き已りて、諸の大衆に告げて是の如き言を唱へたまはく、「我が此弟子摩訶迦葉は、未来世に於て、当に三百万億の諸仏世尊を奉覲して、供養し恭敬し、尊重し讃歎して、広く諸仏の無量の大法を宣ぶることを得べし。最後身に於て、仏と成為ることを得ん。名をば光明如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊と曰はん。国をば光徳と名け、劫をば大荘厳と名けん。仏の寿は十二小劫、正法世に住すること二十小劫、像法亦住すること二十小劫ならん。国界厳飾にして、諸の穢悪、瓦礫荊棘、便利の不浄無く、其土平正にして、高下、坑坎、堆阜有ること無けん。瑠璃を地と為して宝樹行列し、黄金を縄と為して、以て道の側を界(さか)ひ、諸の宝華を散じて、周遍して清浄ならん。其国の菩薩無量千億にして、諸の声聞衆亦復無数ならん。魔事有ること無けん、魔及び魔民有りと雖も、皆仏法を護らん。」

 爾時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 


  諸の比丘に告ぐ 我仏眼を以て
  此迦葉を見るに 未来世に於て
  無数劫を過ぎて 当に作仏することを得べし
  而も来世に於て 三百万億の


  諸仏世尊を 供養し奉覲して
  仏の智慧を為って 浄く梵行を修し
  最上の 二足尊を供養し已りて
  一切の 無上の慧を修習し


  最後身に於て 仏に成為ることを得ん
  其土清浄にして 瑠璃を地と為し
  諸の宝樹多くして 道の側りに行列し
  金縄道を界ひて 見る者歓喜せん


  常に好香を出だし 衆の名華を散じて
  種々の奇妙なる 以て荘厳と為し
  其地平正にして 丘坑有ること無けん
  諸の菩薩衆 称計すべからず


  其心調柔にして 大神通に逮(いた)
  諸仏の 大乗経典を奉持せん
  諸の声聞衆の 無漏の後身にして
  法王の子なる 亦計るべからず


  乃ち天眼を以ても 数へ知ること能はじ
  其仏は当に 寿十二小劫なるべし
  正法世に住すること 二十小劫
  像法亦住すること 二十小劫ならん


  光明世尊 其事是の如し

 


 爾時、大目建連、須菩提、摩訶迦旃延等、皆悉く悚慄して、一心に合掌し、世尊を瞻仰して、目暫らくも捨てず、即ち共に声を同じうして、偈を説きて言さく、

 

  大雄猛世尊 諸釈の法王
  我等を哀愍したまふが故に 而も仏の音声を賜へ
  若し我が深心を知ろしめして 授記せられなば
  甘露を以て灑ぐに 熱を除ひて清涼を得るが如くならん


  飢えたる国より来って 忽ちに大王の膳に遇へらんが如く
  心猶疑懼を懐きて 未だ敢て即便ち食せず
  若し復王の教を得ては 然る後に乃ち敢て食せんが如く
  我等も亦是の如し 毎に小乗の過を惟ふて


  当に云何にして 仏の無上慧を得べきかを知らず
  仏の音声の 我等作仏せんと言ふことを聞くと雖も
  心尚憂懼を懐くこと 未だ敢て便ち食せざるが如し
  若し仏の授記を蒙りなば 爾乃ち快く安楽ならん


  大雄猛世尊 常に世間を安んぜんと欲す
  願わくば我等に記を賜へ 飢えに教を須って食するが如くならん

 


 爾時に世尊、諸の大弟子の心の所念を知ろしめして、諸の比丘に告げたまはく、「是須菩提は当来世に於て、三百万億那由他の仏を奉覲して、供養し恭敬し尊重し讃歎し、常に梵行を修し、菩薩道を具して、最後身に於て、仏と成為ることを得ん、号をば名相如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊と曰わん。劫を有宝と名け、国をば宝生と名けん。其土平正にして、頗黎を地と為し、宝樹荘厳して、諸の丘坑、沙礫、荊棘、便利の穢無く、宝華地に覆ひ、周遍して清浄ならん。其土の人民、皆宝臺珍妙の楼閣に処せん。声聞の弟子、無量無辺にして、算数譬喩の知ること能はざる所ならん。諸の菩薩衆、無数千万億那由他ならん。仏の寿は十二小劫、正法世に住すること二十小劫、像法亦住すること二十小劫ならん。其仏常に虚空に処して、衆の為に法を説きて、無量の菩薩及び声聞衆を度脱せん。」

爾の時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 


  諸の比丘衆 今汝等に告ぐ
  皆当に一心に 我が説く所を聴くべし
  我が大弟子 須菩提は
  当に作仏することを得べし 号をば名相と曰わん


  当に無数 万億の諸仏を供し
  仏の所行に随ひて 漸く大道を具すべし
  最後身に 三十二相を得て
  端正姝妙なること 猶し宝山の如くならん


  其仏の国土は 厳浄第一にして
  衆生の見る者 愛楽せずといふこと無けん
  仏其中に於て 無量の衆を度せん
  其仏の法の中には 諸の菩薩多く


  皆悉く利根にして 不退の輪を転ぜん
  彼の国は常に 菩薩を以て荘厳せり
  諸の声聞衆 称数すべからず
  皆三明を得 六神通を具し


  八解脱に住して 大威徳有らん
  其仏の説法には 無量の
  神通変化を現じて 不可思議ならん
  諸天人民 数恒沙の如く


  皆共に合掌して 仏語を聴受せん
  其仏は当に 寿十二小劫なるべし
  正法世に住すること 二十小劫
  像法亦住すること 二十小劫ならん

 


 爾時、世尊、復諸の比丘衆に告げたまはく、「我今汝に語る。是の大迦旃延は、当来世に於て、諸の供具を以て、八千億の仏に供養し奉事して、恭敬尊重せん。諸仏の滅後に、各塔廟を起てん。高さ千由旬、縦広正等にして五百由旬ならん。皆金・銀・瑠璃・硨磲・碼碯・真珠・玫瑰の七宝を以て合成し、衆華、瓔珞、塗香、抹香、焼香、所W、幢幡を塔廟に供養せん。是れを過ぎて已後当に復二万億の仏を供養すること亦復是の如くすべし。是の諸仏を供養し已りて、菩薩道を具して、当に作仏することを得べし、号をば閻浮那提金光如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊と曰わん。其土平正にして、頗黎を地と為し、宝樹荘厳し、黄金を縄と為して、以て道の側りを界ひ、妙華地に覆ひ、周遍清浄にして、見る者歓喜せん。四悪道の地獄、餓鬼、畜生、阿修羅道無く、多く天人有らん。諸の声聞衆、及び諸の菩薩、無量万億にして其国を荘厳せん。仏の寿は十二小劫、正法世に住すること二十小劫、像法亦住すること二十小劫ならん。」

 爾時に世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 


  諸の比丘衆 皆一心に聴け
  我が説く所の如きは 真実にして異ること無し
  是迦旃延は 当に種々の
  妙好の供具を以て 諸仏を供養すべし


  諸仏の滅後に 七宝の塔を起て
  亦華香を以て 舎利を供養し
  其最後身に 仏の智慧を得て
  等正覚を成じ 国土清浄にして


  無量万億の 衆生を度脱し
  皆十方に 供養せらるることを為ん
  仏の光明 能く勝れる者無けん
  其の仏の号をば 閻浮金光と曰わん


  菩薩声聞の 一切の有を断ぜる
  無量無数 其国を荘厳せん

 


 爾の時、世尊、復大衆に告げたまはく、「我今汝に語る、是の大目建連は、当に種々の供具を以て、八千の諸仏を供養し、恭敬尊重したてまつるべし。諸仏の滅後、各塔廟を起てて高さ千由旬、縦広正等にして五百由旬ならん。金、銀、瑠璃、硨磲、碼碯、真珠、玫瑰の七宝を以て合成し、衆華、瓔珞、塗香、抹香、焼香、所W、幢幡を以て用て供養せん。是れを過ぎて已後、当に復二百万億の諸仏を供養するも、亦復是の如くすべし。当に成仏することを得べし、号をば多摩羅跋栴檀香如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊と曰わん。劫をば喜満と名け、国をば意楽と名けん。其土平正にして、頗黎を地と為し、宝樹荘厳し、真珠華を散じ、周遍清浄にして、見る者歓喜せん。諸の天人多く、菩薩、声聞、其数無量ならん。仏の寿は二十四小劫ならん、正法世に住すること四十小劫、像法亦住すること四十小劫ならん。」

 爾時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 


  我が此の弟子 大目建連
  是の身を捨て已りて 八千
  二百万億の 諸仏世尊を見たてまつることを得て
  仏道の為の故に 供養し恭敬し


  諸仏の所に於て 常に梵行を修し
  無量劫に於て 仏法を奉持せん
  諸仏の滅後に 七宝の塔を起てて
  長く金刹を表し 華香伎楽をもて


  而も以て 諸仏の塔廟に供養し
  漸漸に 菩薩の道を具足し已りて
  意楽国に於て 作仏することを得て
  多摩羅 栴檀の香と号けん


  其仏の寿命 二十四劫ならん
  常に天人の為に 仏道を演説せん
  声聞無量にして 恒河沙の如く
  三明六通あって 大威徳あらん


  菩薩無数にして 志固く精進し
  仏の智慧に於て 皆退転せじ
  仏の滅度の後 正法当に住すること
  四十小劫なるべし 像法亦爾なり


  我が諸の弟子の 威徳具足せる
  其数五百なるも 皆当に授記すべし
  未来世に於て 咸く成仏することを得ん
  我及び汝等が 宿世の因縁


  吾今当に説くべし 汝等善く聴け

 

 

 

妙法蓮華経 化城喩品 第七

 

 仏、諸の比丘に告げたまはく、「乃往過去無量無辺不可思議阿僧祇劫、爾の時、仏有しき、大通智勝如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と名く。其の国をば好成と名け、劫をば大相と名けき。諸の比丘、彼の仏の滅度より已来、甚だ大いに久遠なり。譬へば、三千大千世界の有ゆる地種を、仮使(たとひ)人有りて、磨りて以て墨と為し、東方千の国土を過ぎて、乃ち一点を下さん。大いさ微塵の如し。又千の国土を過ぎて復一点を下さん。是の如く展転して地種の墨を尽くさんが如し、汝等が意に於て云何、是の諸の国土をば、若しは算師若しは算師の弟子、能く辺際を得て、其数を知らんや不や。」「不也、世尊。」「諸の比丘、是の人の経る所の国土の、若しは点ぜると、点ぜざるとを、尽く抹して塵となして、一塵を一劫とせん。彼の仏の滅度より已来、復是数に過ぎたること、無量無辺百千万億阿僧祇劫なり。我如来の知見力を以ての故に、彼の久遠を観ること猶し今日の如し。」

 爾時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、

 


  我過去世の 無量無辺劫を念ふに
  仏両足尊有しき 大通智勝と名く
  如し人の力を以て 三千大千の土を磨りて
  此諸の地種を尽くして 皆悉く以て墨と為して


  千の国土を過ぎて 乃ち一の塵点を下さん
  是の如く展転し点じて 此諸の塵の墨を尽くさん
  是の如き諸の国土の 点ぜると点ぜざる等を
  復尽く抹して塵と為して 一塵を一劫と為さん


  此諸の微塵の数よりも 其劫は復是れに過ぎたり
  彼の仏の滅度より来 是の如く無量劫なり
  如来の無碍智 彼の仏の滅度
  及び声聞菩薩を知ること 今の滅度を見るが如し


  諸の比丘当に知るべし 仏智は浄くして微妙に
  無漏無所碍にして 無量劫を通達す


 仏、諸の比丘に告げたまはく、「大通智勝仏は寿五百四十万億那由他劫なり。其仏、本道場に坐して、魔軍を破し已りて、阿耨多羅三藐三菩提を得たまはんずるに、而も諸仏の法現在前せず。是の如く一小劫、乃至十小劫、結跏趺坐して、心身動したまはず。而も諸仏の法、猶在前せざりき。爾の時、忉利の諸天、先より彼の仏の為に菩提樹下に於て師子の座を敷けり。高さ一由旬なり。仏此の座に於て当に阿耨多羅三藐三菩提を得たまふべしと。適(はじ)めて此座に坐したまふ。時に諸の梵天王、衆の天華を雨らすこと、面ごとに百由旬なり。香ばしき風時来たりて、萎(しぼ)める華を吹き去りて、更に新しき者を雨らす。是の如く絶えず十小劫を満じて仏を供養したてまつる。乃至滅度まで常に此華を雨らしき。四王の諸天、仏を供養したてまつらんが為に常に天鼓を撃つ。其余の諸天、天の伎楽を作すこと十小劫を満ず。滅度に至るまで亦復是の如し。諸の比丘、大通智勝仏十小劫を過ぎて諸仏の法乃し現在前して、阿耨多羅三藐三菩提を成じたまひき。其仏未だ出家したまはざりし時に十六の子有り。其第一をば名を智積と曰ふ。諸子各種々の珍異玩好の具有り。父の阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまふを聞きて、皆所珍を捨てて仏所に往詣す。諸母涕泣して随ひて之を送る。其祖転輪聖王、一百の大臣及び余の百千万億の人民とともに、皆共に圍繞して随ひて道場に至る。咸(ことごと)く大通智勝如来に親近して、供養し恭敬し尊重し讃歎したてまつらんと欲し、到り已りて頭面に足を礼し、仏を繞り畢已(おは)りて、一心に合掌し、世尊を瞻仰して、偈を以て、頌して曰さく、

 


  大威徳世尊 衆生を度せんが為の故に
  無量億歳に於て 爾も乃し成仏することを得たまへり
  諸願已に具足したまふ 善い哉吉無上なり
  世尊は甚だ希有なり 一たび坐して十小劫


  身体及び手足 静然として安じて動せず
  其の心常に憺泊にして 未だ曾て散乱有らず
  究竟して永く寂滅し 無漏の法に安住したまへり
  今者世尊の 安穏に仏道を成じたまふを見て


  我等善利を得 称慶して大いに歓喜す
  衆生は常に苦悩し 盲冥にして導師無し
  苦尽の道を識らず 解脱を求むることを知らずして
  長夜に悪趣を増し 諸天衆を減損す


  冥(くら)きより冥きに入りて 永く仏の名を聞かず
  今仏最上の 安穏無漏の法を得たまへり
  我等及び天人 為に最大利を得たり
  是故に咸(ことごと)く稽首して 無上尊に帰命したてまつる

 


 爾時、十六王子、偈をもって仏を讃め已りて、世尊に法輪を転じたまへと勧請しき、咸く是言を作さく、「世尊法を説きたまへば、安穏ならしむる所多からん。諸天人民を憐愍し饒益したまへ。」 重ねて偈を説きて言さく、

 


  世雄は等倫無し 百福もて自ら荘厳し
  無上の智慧を得たまへり 願わくば世間の為に説きて
  我等 及び諸の衆生の類を度脱し
  為に分別し顕示して 是智慧を得せしめたまへ


  若し我等仏を得ば 衆生亦復然ならん
  世尊は衆生の 深心の所念を知り
  亦所行の道を知り 又智慧の力を知ろしめせり
  欲楽及び修福 宿命所行の業


  世尊は悉く知ろしめし已れり 当に無上輪を転じたまふべし

 


 仏、諸の比丘に告げたまはく、「大通智勝仏、阿耨多羅三藐三菩提を得たまひし時、十方各五百万億の諸仏の世界、六種に震動し、其国の中間幽冥の処、日月の威光も照らすこと能はざる所、而も皆大いに明かなり。其中の衆生、各相見ることを得て、咸く是言を作さく、「此中に云何が忽ちに衆生を生ぜる」又其国界の諸天の宮殿、乃至梵宮まで、六種に震動し、大光普く照して世界に遍満し、諸天の光に勝れり。爾の時、東方五百万億の諸の国土の中の梵天の宮殿、光明照曜して、常の明に倍れり。諸の梵天王、各是念を作さく、「今者宮殿の光明、昔より未だ有らざる所なり。何の因縁を以て而も此相を現ずる。」是時、に諸の梵天王、即ち各相詣りて、共に此事を議す。時に彼の衆の中に一大梵天王有り、救一切と名く、諸の梵衆の為に偈を説きて言はく、

 


  我等が諸の宮殿 光明昔より未だ有らず
  此れは是れ何の因縁ぞ 宜しく各共に之を求むべし
  為れ大徳の天の生ぜるや 為れ仏の世間に出でたまへるや
  而も此大光明は 遍く十方を照らす

 


 爾の時、五百万億の国土の諸の梵天王、宮殿と倶に、各衣裓を以て諸の天華を盛りて、共に西方に詣りて是相を推尋するに、大通智勝如来の道場菩提樹下に処し、師子座に坐して、諸の天、龍王、乾闥婆、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等の恭敬し圍繞せるを見、及び十六王子の、仏に転法輪を請ずるを見る。即時に諸の梵天王、頭面に仏を礼し、繞ること百千匝して、即ち天華を以て、仏の上に散ず、其所散の華、須弥山の如し。並びに以て仏の菩提樹に供養す。其菩提樹高さ十由旬なり。華の供養すること已りて、各宮殿を以て彼の仏に奉上して是言を作さく、「唯我等を哀愍し饒益せられて、献(たてま)つる所の宮殿、願わくば納処を垂れたまへ」時に諸の梵天王、即ち仏前に於て一心に声を同じうして、偈を以て頌して曰さく、

 

  世尊は甚だ希有にして 値遇するを得べきこと難し
  無量の功徳を具して 能く一切を救護し
  天人の大師として 世間を哀愍したまふ
  十方の諸の衆生 普く皆饒益を蒙る


  我等が従り来る所は 五百万億の国なり
  深禅定の楽を捨てたることは 仏を供養せんが為の故なり
  我等先世の福ありて 宮殿甚だ厳飾せり
  今以て世尊に奉る 唯願わくば哀んで納受したまへ

 


 爾の時、諸の梵天王、偈もて仏を讃め已りて、各是言を作さく、「唯願わくば世尊、法輪を転じて衆生を度脱し、涅槃の道を開きたまへ」時に諸の梵天王、一心に声を同じうして、偈を説きて言さく、

 


  世雄両足尊 唯願わくば法を演説し
  大慈悲の力を以て 苦悩の衆生を度したまへ

 


 爾の時、大通智勝如来、黙然として之を許したまふ。又諸の比丘、東南方の五百万億の国土の諸の大梵王、各自ら宮殿の光明照曜して昔より未だ有らざる所なるを見て、歓喜踊躍して、希有の心を生じ、即ち各相詣りて共に此事を議す。時に彼の衆の中に、一大梵天王有り、名を大悲という。諸の梵衆の為に偈を説きて言さく、

 


  是事何の因縁ぞ 此の如き相を現ずる
  我等が諸の宮殿 光明昔より未だ有らず
  為れ大徳の天の生ぜるや 為れ仏の世間に出でたまへるや
  未だ曾て此相を見ず 当に共に一心に求むべし


  千万億の土を過ぐとも 光を尋ねて共に之を推(たづ)ねん
  多くは是れ仏の世に出でて 苦の衆生を度脱したまふならん

 


 爾の時、五百万億の諸の梵天王、宮殿と倶に、各衣裓を以て、諸の天華を盛りて、共に西北方に詣って是相を推尋するに、大通智勝如来の道場菩提樹下に処し、師子座に坐して、諸の天、龍王、乾闥婆、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等の恭敬し圍繞せるを見、及び十六王子の仏に転法輪を請ずるを見る。時に諸の梵天王、頭面に仏を礼し、繞ること百千匝して、即ち天華を以て、仏の上に散ず。散ずる所の華、須弥山の如し。並びに以て仏の菩提樹に供養す。華を供養すること已りて、各宮殿を以て、彼の仏に奉上して、是言を作さく、「唯我等を哀愍し饒益せられて、献(たてま)つる所の宮殿、願わくば納処を垂れたまへ」

 爾の時、諸の梵天王、即ち仏前に於て一心に声を同じうして、偈を以て頌して曰さく、

 


  聖主天中天 迦陵頻伽の声にして
  衆生を哀愍したまふ者 我等今敬礼したてまつる
  世尊は甚だ希有にして 久遠に乃し一たび現じたまふ
  一百八十劫 空しく過ぎて仏有ますこと無し


  三悪道充満し 諸天衆減少せり
  今仏世に出でて 衆生の為に眼と作り
  世間の帰趣する所として 一切を救護し
  衆生の父と為りて 哀愍し饒益したまふ者なり


  我等宿福の慶びありて 今世尊に値ひたてまつることを得たり

 


 爾の時、諸の梵天王、偈をもて仏を讃め已りて、各是の言を作さく、「唯願わくば世尊、一切を哀愍して法輪を転じ衆生を度脱したまへ」

 時に諸の梵天王、一心に声を同じゅうして、偈を説きて言さく、

 

  大聖法輪を転じて 諸法の相を顕示し
  苦悩の衆生を度して 大歓喜を得しめたまへ
  衆生此の法を聞かば 道を得若しは天に生じ
  諸の悪道減少し 忍善の者増益せん

 


 爾の時、大通智勝如来、黙然として之を許したまふ。又諸の比丘、南方五百万億の国土の諸の大梵王、各自ら宮殿の光明照曜して、昔より未だ有らざる所なるを見て、歓喜踊躍し、希有の心を生じて、即ち各相詣りて共に此事を議す。何の因縁を以てか我等が宮殿此の光曜有る。而も彼の衆の中に一大梵天王有り、名を妙法と曰ふ。諸の梵衆の為に偈を説きて言はく、

 


  我等が諸の宮殿 光明甚だ威曜せり
  此れ因縁無きに非じ 是の相宜しく之を求むべし
  百千劫を過ぐれども 未だ曾て是の相を見ず
  為れ大徳の天の生ぜるや 為れ仏の世間に出でたまへるや

 


 爾の時、五百万億の諸の梵天王、宮殿と倶に、各衣裓を以て諸の天華を盛りて、共に北方に詣りて是の相を推尋するに、大通智勝如来の道場菩提樹下に処し、師子座に坐して、諸の天、龍王、乾闥婆、緊那羅、摩ご羅伽、人非人等の恭敬圍繞せるを見、及び十六王子の仏に転法輪を請ずるを見る。時に諸の梵天王、頭面に仏を礼し、繞ること百千匝して、即ち天華を以て仏の上に散ず。散ずる所の華、須弥山の如し。並びに以て仏の菩提樹に供養す。華を供養すること已りて、各宮殿を以て彼の仏に奉上して、是言を作さく、「唯我等を哀愍し饒益せられて、献る所の宮殿願わくば納処を垂れたまへ」

 爾の時、諸の梵天王、即ち仏前に於て一心に声を同じうして、偈を以て頌して曰さく、

 


  世尊は甚だ見たてまつること難し 諸の煩悩を破したまへる者なり
  百三十劫を過ぎて 今乃ち一たび見たてまつることを得
  諸の飢渇の衆生に 法雨を以て充満したまふ
  昔より未だ曾て見ざる所の 無量の智慧者ましませる者


  優曇鉢華の如くなるに 今日乃ち値遇したてまつる
  我等諸の宮殿 光を蒙るが故に厳飾せり
  世尊大慈悲もて 唯願わくば納受を垂れたまへ

 


  爾の時、諸の梵天王、偈もて仏を讃め已りて、各是言を作さく、「唯願わくば世尊、法輪を転じて、一切世間の諸天、魔、梵、沙門、婆羅門をして皆安穏なることを獲て、度脱することを得しめたまへ」時に諸の梵天王、一心に声を同じうして、偈を以て頌して曰さく、

 


  唯願わくば天人尊 無上の法輪を転じ
  大法の鼓を撃ち 大法の螺を吹き
  普く大法の雨を雨らして 無量の衆生を度したまへ
  我等咸く帰請したてまつる 当に深遠の音を演べたまふべし

 


 爾の時、大通智勝如来、黙然として之を許したまふ。西南方、乃至下方も、亦復是の如し。

 爾の時、上方五百万億の国土の諸の大梵王、皆悉く自ら止る所の宮殿の光明威曜して、昔より未だ有らざる所なるを覩て、歓喜踊躍し、希有の心を生じて、即ち各相詣りて、共に此事を議す、「何の因縁を以てか我等が宮殿斯の光明有る」

 而して彼の衆の中に一大梵天王有り、名を尸棄と曰ふ。諸の梵衆の為に偈を説きて言はく、

 


  今何の因縁を以て 我等が諸の宮殿
  威徳光明曜(かがや)き 厳飾せること未曾有なる
  是の如きの妙相は 昔より未だ聞き見ざる所なり
  為れ大徳の天の生ぜるや 為れ仏の世間に出でたまへるや

 


 爾の時、五百万億の諸の梵天王、宮殿と倶に、各衣裓を以て諸の天華を盛りて、共に下方に詣りて是相を推尋するに、大通智勝如来の道場菩提樹下に処し、師子座に坐して、諸の天、龍王、乾闥婆、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等の恭敬圍繞せるを見、及び十六王子の仏に転法輪を請ずるを見る。時に諸の梵天王、頭面に仏を礼し、繞ること百千匝して、即ち天華を以て仏の上に散ず。散ずる所の華、須弥山の如し。並びに以て仏の菩提樹に供養す。華の供養すること已りて、各宮殿を以て彼の仏に奉上して、是言を作さく、「唯我等を哀愍し饒益せられて、献つる所の宮殿、願わくば納処を垂れたまへ」

 時に諸の梵天王、即ち仏前に於て一心に声を同じうして、偈を以て頌して曰さく、

 


  善い哉諸仏 救世の聖尊を見たてまつる
  能く三界の獄より 勉めて諸の衆生を出だしたまふ
  普智天人尊 群萌の類を哀愍して
  能く甘露の門を開きて 広く一切を度したまふ


  昔の無量劫に於て 空しく過ぎて仏有ますこと無し
  世尊未だ出でたまはざりし時は 十方常に闇瞑にして
  三悪道増長し 阿修羅亦盛んなり
  諸の天衆転た減じて 死して多く悪道に堕つ


  仏に従ひて法を聞かず 常に不善の事を行じ
  色力及び智慧 斯れ等皆減少す
  罪業の因縁の故に 楽及び楽の想を失ふ
  邪見の法に住して 善の儀則を識らず


  仏の所化を蒙らずして 常に悪道に堕つ
  仏は為れ世間の眼なり 久遠に時に乃し出でたまへり
  諸の衆生を哀愍したまふが故に 世間に現じ
  超出して正覚を成じたまへり 我等甚だ欣慶す


  及び余の一切の衆も 喜んで未曾有なりと歎ず
  我等が諸の宮殿 光を蒙るが故に厳飾せり
  今以て世尊に奉る 唯哀みを垂れて納受したまへ
  願わくば此功徳を以て 普く一切に及ぼして


  我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん

 


 爾の時、五百万億の諸の梵天王、偈をもて仏を讃じ已りて、各仏に白して言さく、「唯願わくば世尊、法輪を転じたまへ。安穏ならしむる所多く、度脱する所多からん」

 時に諸の梵天王、而も偈を説きて言さく、

 


  世尊法輪を転じ 甘露の法鼓を撃ちて
  苦悩の衆生を度し 涅槃の道を開示したまへ
  唯願わくば我が請を受けて 大微妙の音を以て
  哀愍して 無量劫に習ひたまへる法を敷演したまへ

 


  爾の時、大通智勝如来、十方の諸の梵天王及び十六王子の請を受けて、即座に三たび十二行の法輪を転じたまふ。若しは沙門、婆羅門、若しは天、魔、梵、及び余の世間の転ずること能はざる所なり。謂ゆる是れ苦、是れ苦の集、是れ苦の滅、是れ苦の滅する道なり。及び広く十二因縁の法を説きたまふ。無明は行に縁たり、行は識に縁たり、識は名色に縁たり、名色は六入に縁たり、六入は触に縁たり、触は受に縁たり、受は愛に縁たり、愛は取に縁たり、取は有に縁たり、有は生に縁たり、生は老死憂悲苦悩に縁たり。無明滅すれば則ち行滅す、行滅すれば則ち識滅す、識滅すれば則ち名色滅す、名色滅すれば則ち六入滅す、六入滅すれば則ち触滅す、触滅すれば則ち受滅す、受滅すれば則ち愛滅す、愛滅すれば則ち取滅す、取滅すれば則ち有滅す、有滅すれば則ち生滅す、生滅すれば則ち老死の憂悲苦悩滅す。仏、天人大衆の中に於て、是の法を説きたまひし時、六百万億那由他の人、一切の法を受けざるを以ての故に、而も諸漏に於て、心解脱を得、皆深妙の禅定、三明、六通を得、八解脱を具しぬ。第二、第三、第四の説法の時も、千万億恒河沙那由他等の衆生、亦一切の法を受けざるを以ての故に、而も諸漏に於て心解脱を得。是れより已後、諸の声聞衆無量無辺にして称数すべからず。

 爾時、十六王子、皆童子を以て出家して沙弥と為りぬ。諸根通利にして智慧明了なり。已に曾て百千万億の諸仏を供養し、浄く梵行を修して、阿耨多羅三藐三菩提を求む。倶に仏に白して言さく、「世尊、是の諸の無量千万億の大徳の声聞は、皆已に成就しぬ。世尊、亦当に我等が為に阿耨多羅三藐三菩提の法を説くべし。我等聞き已りて、皆共に修学せん。世尊、我等は如来の知見を志願す。深心の所念は、仏自ら証知したまはん」

 爾時、転輪聖王の將ひる所の衆の中の八万億の人、十六王子の出家を見て亦出家を求む。王即ち聴許しき。爾時、彼仏、沙弥の請を受けて、二万劫を過ぎ已りて、乃ち四衆の中に於て、是大乗経の妙法蓮華、教菩薩法、仏所護念と名くるを説きたまふ。是経を説き已りて、十六の沙弥、阿耨多羅三藐三菩提の為の故に、皆共に受持し、諷誦通利しき。是経を説きたまひし時、十六の菩薩沙弥、皆悉く信受す、声聞衆の中にも、亦信解する者有り。其余の衆生の、千万億種なるは、皆疑惑を生じき。仏、是経を説きたまふこと、八千劫に於て、未だ曾て休廃したまはず。此経を説き已りて、即ち静室に入りて、禅定に住したまふこと八万四千劫なり。

 是時、十六の菩薩沙弥、仏の室に入りて寂然として禅定したまふを知りて、各法座に昇りて、亦八万四千劫に於て、四部の衆の為に、広く妙法華経を説き分別す。一一に皆六百万億那由他恒河沙等の衆生を度し、示教利喜して、阿耨多羅三藐三菩提の心を発さしむ。大通智勝仏八万四千劫を過ぎ已りて、三昧より起ちて、法座に往詣し、安詳として坐して、普く大衆に告げたまはく、「是十六の菩薩沙弥は甚だこれ希有なり、諸根通利にして、智慧明了なり、已に曾て無量千万億数の諸仏を供養し、諸仏の所に於て常に梵行を修し、仏智を受持し、衆生に開示して、其中に入らしむ。汝等皆当に数数(しばしば)親近して之を供養すべし。所以は何ん。若し声聞、辟支仏、及び諸の菩薩、能く是十六の菩薩の所説の経法を信じ、受持して毀(やぶ)らざらん者は、是人皆当に阿耨多羅三藐三菩提の如来の慧を得べし」と。」仏、諸の比丘に告げたまはく、「是十六の菩薩は、常に楽ひて是妙法蓮華経を説く。一一の菩薩の所化の六百万億の那由他恒河沙等の衆生、世世に生まるる所は菩薩と倶にして、其れに従ひて法を聞きて、悉く皆信解せり。この因縁を以て、四万億の諸仏世尊に値ひたてまつることを得たり、今に尽きず。諸の比丘、我今汝に語る、彼仏の弟子の、十六の沙弥は、今皆阿耨多羅三藐三菩提を得て、十方の国土に於て、現に在(ましま)して法を説きたまふ。無量百千万億の菩薩声聞有りて、以て眷属と為せり。其二りの沙弥は、東方にして作仏す。一をば阿閦と名く、歓喜国に在します。二をば須弥頂と名く。東南方に二仏あり、一をば師子音と名け、二をば師子相と名く。南方に二仏あり、一をば虚空住と名け、二をば常滅と名く。西南方に二仏あり、一をば帝相と名け、二をば梵相と名く。西方に二仏あり、一をば阿弥陀と名け、二をば度一切世間苦悩と名く。西北方に二仏あり、一をば多摩羅跋栴檀香神通と名け、二をば須弥相と名く。北方に二仏あり、一をば雲自在と名け、二をば雲自在王と名く。東北方の仏をば壊一切世間怖畏と名く。第十六は我釈迦牟尼仏なり。娑婆国土に於て、阿耨多羅三藐三菩提を成ぜり。諸の比丘、我等沙弥為りし時、各各に無量百千万億恒河沙等の衆生を教化せり。我に従ひて法を聞きしは阿耨多羅三藐三菩提の為なり。此諸の衆生、今に声聞地に住せる者あり。我常に阿耨多羅三藐三菩提に教化す、是諸人等、應に是法を以て漸く仏道に入るべし。所以は何ん。如来の智慧は、信じ難く解し難ければなり。爾時、化する所の無量恒河沙等の衆生は、汝等諸の比丘、及び我が滅度の後の、未来世の中の、声聞の弟子是れなり。我が滅度の後、復弟子有りて、是経を聞かず、菩薩の所行を知らず覚らず、自ら所得の功徳に於て、滅度の想ひを生じて、当に涅槃に入るべし。我余国に於て作仏して、更に異名有らん。是人、滅度の想を生じ涅槃に入ると雖も、而も彼の土に於て、仏の智慧を求めて、是経を聞くことを得ん。唯仏乗を以て滅度を得、更に余乗無し。諸の如来の方便の説法をば除く。諸の比丘、若し如来、自ら涅槃の時到り、衆又清浄に、信解堅固にして空法を了達し、深く禅定に入れりと知りぬれば、便ち諸の菩薩及び声聞衆を集めて、為に是経を説く。世間に二乗として滅度を得ること有ること無し。唯一仏乗もて滅度を得るのみ。比丘当に知るべし、如来の方便は深く衆生の性に入れり。其小法を志楽し、深く五欲に著するを知りて、是れ等の為の故に涅槃を説く。是人若し聞かば、則便信受す。

 譬えば五百由旬の、険難悪道の、曠かに絶えて人無き怖畏の処あらん。若し多くの衆有りて、此道を過ぎて、珍宝の処に至らんと欲せん。一導師有り、聡慧明達にして、善く険道の通塞の相を知れり。衆人を将導して、此難を過ぎんと欲す。将(ひき)いる所の人衆、中路に懈怠して、導師に白して言はく、「我等疲極にして復怖畏す。復進むこと能はず。前路猶遠し、今退き還らんと欲す」と。導師諸の方便多くして、是念を作さく、「此れ等愍むべし、云何が大珍宝を捨てて、而も退き還らんと欲するや」是念を作し已りて、方便力を以て、険道の中に於て、三百由旬を過ぎて、一の城を化作す。衆人に告げて言はく、「汝等怖るること勿れ。退き還ることを得ることなかれ。今此大城の中に於て止りて、意の所作に随ふべし。若し是城に入らば、快く安穏なることを得ん。若し能く前みて宝所に至らば亦去ることを得べし」是時、疲極の衆、心大いに歓喜して、未曾有なりと歎ず。「我等今者、斯の悪道を免れて、快く安穏なることを得つ」と。是に於いて衆人、前みて化城に入りて、已度の想を生じ、安穏の想を生ず。爾の時、導師、此人衆の、既に止息することを得て、復疲倦無きを知りて、即ち化城を滅して、衆人に語りて、「汝等去来や、宝処は近きに在り、向の大城は、我が化作せる所なり、止息の為ならんのみ」と言はんが如し。

 諸の比丘、如来も亦復是の如し。今汝等が為に、大導師と作りて、諸の生死煩悩の悪道、険難長遠にして去るべく度すべきを知れり。若し衆生但一仏乗を聞かば、則ち仏を見んと欲せず、親近せんと欲せじ。便ち是念を作さく、「仏道は長遠なり。久しく勤苦を受けて乃し成ずることを得べし」と。仏、是心の怯弱下劣なるを知りて、方便力を以て、中道に於て止息せしめんが為の故に、二涅槃を説く。若し衆生二地に住すれば、如来、爾の時、即ち為に説く。「汝等は所作未だ弁ぜず、汝が住する所の地は仏慧に近し、当に観察し籌量すべし。得る所の涅槃は真実に非ず、但是れ如来方便の力もて、一仏乗に於て分別して三と説く」彼の導師の止息せしめんが為の故に大城を化作し、既に息み已んぬと知りて、之に告げて、「宝所は近きに在り、此城は実に非ず、我が化作ならんのみ」と言はんが如し。」

 爾時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 


  大通智勝仏 十劫道場に坐したまへど
  仏法現前せず 仏道を成ずることを得たまはず
  諸の天神龍王 阿修羅衆等
  常に天華を雨らして 以て彼仏に供養す


  諸天天鼓を撃ち 並に衆の伎楽を作す
  香風萎める華を吹きて 更に新しき好き者を雨らす
  十小劫を過ぎ已りて 乃し仏道を成ずることを得たまへり
  諸天及び世人 心に皆踊躍を懐けり


  彼の仏の十六の子 皆其眷属
  千万億の圍繞せると 倶に仏の所に行き至り
  頭面に仏足を礼して 転法輪を請ず
  聖師子法雨もて 我及び一切に充てたまへ


  世尊は甚だ値ひたてまつること難し 久遠に時に一たび現じ
  群生を覚悟せんが為に 一切を震動したまふ
  東方の諸の世界 五百万億国の
  梵の宮殿光曜して 昔より未だ曾て有らざる所なり


  諸梵此の相を見て 尋ねて仏の所に来至して
  華を散じて以て供養したてまつり 並びに宮殿を奉上し
  仏に転法輪を請じ 偈を以て讃歎す
  仏は時未だ至らずと知ろしめして 請を受けて黙然として坐したまへり


  三方及び四維 上下も亦復爾なり
  華を散じ宮殿を奉り 仏に転法輪を請ず
  世尊は甚だ値ひたてまつること難し 願わくば大慈悲を以て
  広く甘露の門を開き 無上の法輪を転じたまえ


  無量慧の世尊 彼の衆人の請を受けて
  為に種々の法 四諦十二縁を宣べたまふ
  無明より老死に至るまで 皆生縁に従ひて有り
  是の如き衆の過患 汝等応当に知るべし


  是法を宣暢したまふ時 六百万億がい
  諸苦の際を尽くすを得て 皆阿羅漢と成る
  第二の説法の時 千万恒沙の衆
  諸法に於て受けずして 亦阿羅漢を得


  是れより後の得度 其数量有ること無し
  万億劫に算数すとも 其辺りを得ること能はじ
  時に十六王子 出家し沙弥と作り
  皆共に彼の仏に 大乗の法を演説したまへと請ず


  我等及び営従 皆当に仏道を成ずべし
  願わくば世尊の如く 慧眼第一浄なることを得ん
  仏童子の心 宿世の所行を知ろしめして
  無量の因縁 種々の諸の譬喩を以て


  六波羅蜜 及び諸の神通の事を説き
  真実の法 菩薩所行の道を分別して
  是法華経の 恒河沙の如きの偈を説きたまひき
  彼の仏、経を説き已りて 静室にして禅定に入り


  一心に一処に坐したまふこと 八万四千劫なり
  是諸の沙弥等 仏の禅より未だ出でたまはざるを知りて
  無量億の衆の為に 仏の無上慧を説く
  各に法座に坐して 是大乗経を説き


  仏の宴寂の後に於て 宣揚して法化を助く
  一一の沙弥等の 度する所の諸の衆生
  六百万億 恒河沙等の衆有り
  彼の仏の滅度の後 是諸の法を聞ける者


  在在の諸の仏土に 常に師と倶に生ず
  是十六の沙弥 具足して仏道を行じて
  今現に十方に在りて 各正覚を成ずることを得たまへり
  爾の時法を聞ける者 各諸仏の所に在り


  其声聞に住すること有るは 漸く教ふるに仏道を以てす
  我十六の数に在りて 曾て亦汝が為に説けり
  是故に方便を以て 汝を引きて仏慧に趣かしむ
  是本因縁を以て 今法華経を説きて


  汝をして仏道に入らしむ 慎んで驚懼を懐くこと勿れ
  譬へば険悪の道の 迥かに絶えて毒獣多く
  又復水草なく 人の怖畏する所の処あらん
  無数千万の衆 此の険道を過ぎんと欲す


  其路甚だ曠遠にして 五百由旬を経
  時に一導師有り 強識にして智慧有り
  明了にして心決定せり 険に在りて衆難を済ふ
  衆人疲倦して 導師に白して言さく


  我等今頓乏せり 此れより退き還らんと欲す
  導師是念を作さく 此の輩甚だ愍むべし
  如何が退き還りて 大珍宝を失はんと欲する
  尋いで時に方便を思はく 当に神通力を設くべしと


  大城郭を化作して 諸の舎宅を荘厳す
  周匝して園林 渠流及び浴池
  重門高楼閣有りて 男女皆充満せり
  即ち是の化を作し已りて 衆を慰めて言わく、懼(おそ)るること勿れ


  汝等此城に入りなば 各所楽に随ふべし
  諸人既に城に入りて 心皆大いに歓喜し
  皆安穏の想を生じ 自ら已に度することを得たりと謂へり
  導師息み已んぬと知りて 衆を集めて告げて


  汝等当に前進むべし 此れは是れ化城ならんのみ
  我汝が疲極して 中路に退き還らんと欲するを見る
  故に方便力を以て 権(かり)に此城を化作せり
  汝今勤めて精進して 当に共に宝所に至るべしと言はんが如し


  我も亦復是の如し これ一切の導師なり
  諸の道を求むる者 中路にして懈廃し
  生死 煩悩の諸の険道を度すること能はざるを見る
  故に方便力を以て 息めんが為に涅槃を説きて


  汝等の苦滅し 所作皆已に弁ぜりと言ふ
  既に涅槃に到り 皆阿羅漢を得たりと知りて
  爾して乃し大衆を集めて 為に真実の法を説く
  諸仏は方便力をもて 分別して三乗を説きたまふ


  唯一仏乗のみ有り 息処の故に二を説く
  今汝が為に実を説く 汝が所得は滅に非ず
  仏の一切智の為に 当に大精進を発すべし
  汝一切智 十力等の仏法を証し


  三十二相を具しなば 乃ち是れ真実の滅ならん
  諸仏導師は 息めんが為に涅槃を説きたまふ
  既に是れ息み已んぬと知れば 仏慧に引入したまふ

 

 

 

 

妙法蓮華経 五百弟子受記品 第八

 

 爾時(そのとき)、富楼那弥多羅尼子、仏に従ひて、是の智慧方便随宜の説法を聞き、又諸の大弟子に阿耨多羅三藐三菩提の記を授けたまふを聞き、復宿世の因縁の事を聞き、復諸仏の大自在神通の力有しますことを聞きたてまつりて、未曾有なることを得、心浄く踊躍す。即ち座より起ちて仏の前に到り、頭面に足を礼し却りて一面に住し、尊顔を瞻仰して目暫くも捨てず。而も是念を作さく、「世尊は甚だ奇特にして所為希有なり。世間若干の種性に随順して、方便知見を以て為に法を説きて、衆生の処処の貧著を抜出したまふ。我等は仏の功徳に於て、言も宣ぶること能はず。唯仏世尊のみ能く我等が深心の本願を知しめせり。」

 爾時、仏、諸の比丘に告げたまはく、「汝等、是の富楼那弥多羅尼子を見るや不や。我常に其説法人の中に於て最も第一なるを得たりと称し、亦常に其種々の功徳を歎ず。精勤して我が法を護持し助宣し、能く四衆に於て示教利喜し、具足して仏の正法を解釈して、大いに同梵行者を饒益す。如来を捨きてよりは、能く其言論の弁を尽くすもの無けん。汝等、富楼那は但能く我が法を護持し助宣すと謂ふこと勿かれ。亦過去九十億の諸仏の所に於て、仏の正法を護持し助宣し、彼の説法人の中に於ても、亦最も第一なりき。又諸仏説きたまふ所の空法に於て明了に通達し、四無碍智を得て、常に能く審諦(あきらか)に清浄に法を説きて、疑惑有ること無し。菩薩の神通の力を具足し、其寿命に随ひて常に梵行を修しき。彼の仏世の人、咸(ことごと)く皆之を実に是れ声聞なりと謂へり。而も富楼那は斯の方便を以て、無量百千の衆生を饒益し、又無量阿僧祇の人を化して阿耨多羅三藐三菩提を立せしめ、仏土を浄めんが為の故に、常に仏事を作して衆生を教化しき。

 諸の比丘、富楼那は、亦七仏の説法人の中に於て第一なることを得、今我が所の説法人の中に於ても、亦第一なることを為、賢劫の中の当来の諸仏の説法人の中に於ても、亦復第一にして、皆仏法を護持し助宣せん。亦未来に於ても、無量無辺の諸仏の法を護持し助宣し、無量の衆生を教化し饒益して、阿耨多羅三藐三菩提を立せしめん。仏土を浄めんが為の故に、常に勤めて精進し衆生を教化せん。漸漸に菩薩の道を具足して、無量阿僧祇劫を過ぎて、当に此土に於て阿耨多羅三藐三菩提を得べし。号をば法明如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊と曰わん。 其仏恒河沙等の三千大千世界を以て一仏土と為し、七宝を地と為し、地の平かなること掌の如くにして山陵・渓澗・溝壑有ること無けん。七宝の臺観其の中に充満し、諸天の宮殿、近く虚空に処し、人天交接して、両(とも)に相見ることを得ん。諸の悪道無く、亦女人無くして、一切衆生皆以て化生し、淫欲有ること無けん。大神通を得て、身より光明を出し飛行自在ならん。志念堅固に、精進智慧有りて、普く皆金色に、三十二相もて自ら荘厳せん。其国の衆生は常に二食を以てせん。一には法喜食、二には禅悦食なり。無量阿僧祇千万億那由他の諸の菩薩衆有りて、大神通、四無碍智を得て善能く衆生の類を教化せん。其声聞衆は、算数校計すとも知ること能はざる所なり。皆六通、三明、及び八解脱を具足することを得ん。其仏の国土は是の如き等の無量の功徳有りて荘厳し成就せん。劫を宝明と名け、国をば善浄と名けん。其仏の寿命は無量阿僧祇劫、法住すること甚だ久しからん。仏の滅度の後七宝の塔を起てて其国に遍満せん。」

 爾時、世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 


  諸の比丘諦かに聴け 仏子所行の道は
  善く方便を学するが故に 思議することを得べからず
  衆の小法を楽ひて 大智を畏るることを知れり
  是故に諸の菩薩は 声聞縁覚と作る


  無数の方便を以て 諸の衆生類を化して
  自ら是れ声聞なり 仏道を去ること甚だ遠しと説き
  無量の衆を度脱して 皆悉く成就することを得しめ
  小欲懈怠なりと雖も 漸く当に作仏せしむべし


  内に菩薩の行を秘し 外に是れ声聞なりと現じ
  小欲にして生死を厭へども 実には自ら仏土を浄む
  衆に三毒有りと示し 又邪見の相を現ず
  我が弟子是の如く 方便して衆生を度す


  若し我具足して 種々の現化の事を説かば
  衆生の是れを聞かん者 心則ち疑惑を懐きなん
  今此富楼那は 昔の千億の仏に於て
  所行の道を勤修し 諸仏の法を宣護し


  無上慧を求むるを為て 而も諸仏の所に於て
  弟子の上に居し 多聞にして智慧有りと現じ
  所説畏るる所無く 能く衆をして歓喜せしめ
  未だ曾て疲倦有らずして 而も以て仏事を助く


  已に大神通に度り 四無碍慧を具し
  衆根の利鈍を知りて 常に清浄の法を説き
  是の如き義を演暢して 諸の千億の衆を教へ
  大乗の法に住せしめて 而も自ら仏土を浄む


  未来にも亦 無量無数の仏を供養し
  正法を護りて助宣して 亦自ら仏土を浄め
  常に諸の方便を以て 法を説くに畏るる所無く
  不可計の衆を度して 一切智を成就せしめ


  諸の如来を供養し 法の宝蔵を護持して
  其後に成仏することを得ん 号をば名けて法明と曰わん
  其の国をば善浄と名け 七宝の合成せる所。
  劫をば名けて宝明と為さん 菩薩衆甚だ多く


  其数無量億にして 皆大神通に度り
  威徳力具足して 其国土に充満せん
  声聞亦無数にして 三明八解脱ありて
  四無碍智を得たる 是れ等を以て僧と為さん


  其国の諸の衆生は 淫欲皆已に断じ
  純一に変化生にして 相を具して身を荘厳せん
  法喜禅悦食にして 更に余の食想無けん
  諸の女人有ること無く 亦諸の悪道無けん


  富楼那比丘 功徳悉く成満して
  当に斯の浄土の 賢聖衆甚だ多きを得べし
  是の如き無量の事 我今但略して説く

 


 爾時、千二百の阿羅漢の心自在なる者、是念を作さく、「我等歓喜して、未曾有なることを得つ。若し世尊、各授記せらるること余の大弟子の如くならば、亦快からずや。」

 仏、此れ等の心の所念を知ろしめして、摩訶迦葉に告げたまはく、「是千二百の阿羅漢に、我今当に現前に次第に、阿耨多羅三藐三菩提の記を与へ授くべし。此衆の中に於て、我が大弟子、僑陳如比丘は、当に六万二千億の仏を供養し、然る後に仏と成為ることを得べし。号を普明如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊と曰はん。其五百の阿羅漢の、優楼頻螺迦葉、伽耶迦葉、那提迦葉、迦留陀夷、優陀夷、阿㝹楼駄、離婆多、劫賓那、薄拘羅、周陀、莎伽陀等皆当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。尽く同じく一号にして、名けて普明と曰はん。」

 爾時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 


  僑陳如比丘 当に無量の仏を見たてまつり
  阿僧祇劫を過ぎて 乃ち等正覚を成ずべし
  常に大光明を放ち 諸の神通を具足し
  名聞十方に遍じ 一切に敬はれて


  常に無上道を説かん 故に号けて普明と為さん
  其国土清浄にして 菩薩皆勇猛ならん
  咸く妙楼閣に昇りて 諸の十方の国に遊び
  無上の供具を以て 諸仏に奉献せん


  是の供養を作し已りて 心に大歓喜を懐き
  須臾に本国に還らん 是の如き神力有らん
  仏の寿六万劫ならん 正法住すること寿に倍し
  像法復是れに倍せん。 法滅せば天人憂へなん


  其五百の比丘 次第に当に作仏すべし
  同じく号けて普明と曰ひ 転次して授記せん
  我が滅度の後 某甲当に作仏すべし
  其所化の世間 亦我が今日の如くならん


  国土の厳浄 及び諸の神通力
  菩薩声聞衆 正法及び像法
  寿命の劫の多少 皆上に説く所の如くならん
  迦葉汝已に 五百の自在の者を知りぬ


  余の諸の声聞衆も 亦当に復是の如くなるべし
  其此会に在らざるには 汝当に為に宣説すべし

 


 爾時、五百の阿羅漢、仏前に於て受記を得已りて歓喜踊躍す。即ち座より起ちて仏前に到り、頭面に足を礼し、過を悔いて自ら責む。「世尊、我等常に是念を作して、自ら已に究竟の滅度を得たりと謂ひき。今乃ち之を知りぬ、無智の者の如し。所以は何ん。我等應に如来の智慧を得べかりき。而るを便ち自ら小智を以て足りぬと為しき。世尊、譬へば人有り、親友の家に至りて酒に酔ひて臥せり。是時に親友官事の当に行くべきありて、無価の宝珠を以て其衣の裏に繋け之を与えて去りぬ。其人酔い臥して都て覚知せず。起き已りて遊行し、他国に到りぬ。衣食の為の故に勤力求索すること甚だ大いに艱難なり、若し少し得る所有れば便ち以て足りぬと為す。後に親友会い遇うて之を見て、是言を作さく、「咄い哉、丈夫、何ぞ衣食の為に乃ち是の如くなるに至る。我昔汝をして安楽なることを得、五欲に自ら恣(ほしいまま)ならしめんと欲して、某の年月日に於て、無価の宝珠を以て汝が衣の裏に繋けたり。今故(なお)現に在り。而るを汝知らずして、勤苦憂悩して以て自活を求むること、甚だ為れ痴なり。汝今、此宝を以て所須に貿易すべし。常に意の如く乏短なる所無かるべし」と。仏も亦是の如し。菩薩為りし時、我等を教化して、一切智の心を発さしめたまひき。而るを尋いで廃忘して、知らず覚らず。既に阿羅漢道を得て、自ら滅度せりと謂ひ、資生艱難にして、少しきを得て足りぬとなす。一切智の願、猶在りて失せず。今者世尊、我等を覚悟して、是の如き言を作したまはく、「諸の比丘、汝等が得たる所は究竟の滅に非ず。我久しく汝等をして仏の善根を種えしめたれども、方便を以ての故に、涅槃の相を示す。而るを汝、為れ実に滅度を得たりと謂えり」世尊、我今乃ち知んぬ、実に是れ菩薩なり。阿耨多羅三藐三菩提の記を受くることを得つ。是因縁を以て、甚だ大に歓喜して未曾有なることを得たり。」

 爾時に阿若僑陳如等、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言さく、

 


  我等 無上安穏の授記の声を聞きたてまつり
  未曾有なりと歓喜して 無量智の仏を礼したてまつる
  今世尊の前に於て 自ら諸の過咎を悔ゆ
  無量の仏宝に於て 少しき涅槃の分を得


  無智の愚人の如くして 便ち自ら以て足れりと為す
  譬えば貧窮の人ありて 親友の家に往き至る
  其家甚だ大いに富み 具に諸の肴膳を設け
  無価の宝珠を以て 内衣の裏に繋著し


  黙して与へて捨て去りぬ 時に臥して覚知せず
  是の人既に已に起きて 遊行して他国に詣り
  衣食を求めて自ら済(わた)り 資生甚だ艱難にして
  少しきを得て便ち足りぬと為して 更に好き者を願はず


  内衣の裏に 無価の宝珠有ることを覚(さと)らず
  珠を与へし親友 後に此貧人を見て
  苦切(ねんごろ)に之を責め已りて 示すに繋くる所の珠を以てす
  貧人此珠を見て 其心大いに歓喜し


  諸の財物を富有して 五欲に而も自ら恣(ほしいまま)ならんが如し
  我等も亦是の如し 世尊長夜に於て
  常に愍んで教化せられて 無上の願を種えしめたまへり
  我等無智なるが故に 覚らず亦知らず


  少しき涅槃の分を得て 自ら足りぬとして余を求めず
  今仏我を覚悟して 実の滅度に非ず
  仏の無上慧を得て 爾して乃ち為れ真の滅なりと言ふ
  我今仏に従ひて 授記荘厳の事


  及び転次に受決せんことを聞きたてまつりて 身心遍く歓喜す

 

 

 

 

妙法蓮華経 授学無学人記品 第九

 

 爾時、阿難、羅睺羅、而も是念を作さく、「我等毎に自ら思惟すらく、設し授記を得ば、亦快かざらんや。」即ち座より起ちて仏前に到り、頭面に足を礼し、倶に仏に白して言さく、「世尊、我等此に於て、亦應に分有るべし。唯如来のみ有まして、我等が帰する所なり。又我等はこれ一切世間の天人阿修羅に知識せらる。阿難は常に侍者と為りて、法蔵を護持す。羅睺羅は是れ仏の子なり。若し仏、阿耨多羅三藐三菩提の記を授けられば、我が願既に満じて、衆の望み亦足りなん。」爾時、学無学の声聞の弟子二千人あり、皆座より起ちて偏(ひとへ)に右の肩を袒(はだぬ)ぎ、仏の前に到り、一心に合掌し、世尊を瞻仰して、阿難、羅睺羅の所願の如くにして、一面に住立せり。

 爾時、仏、阿難に告げたまはく、「汝、来世に於て当に作仏することを得べし。山海慧自在通王如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊と号けん。当に六十二億の諸仏を供養し、法蔵を護持して、然る後に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。二十千万億恒河沙の諸の菩薩等を教化して、阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめん。国を常立勝幡と名けん。其土清浄にして瑠璃を地と為さん。劫をば妙音遍満と名けん。其仏の寿命無量千万億阿僧祇劫ならん。若し人ありて、千万億無量阿僧祇劫の中に於て算数校計すとも、知ることを得ることを能はじ。正法世に住すること寿命に倍し、像法世に住すること復正法に倍せん。阿難、是の山海慧自在通王仏は、十方の無量千万億恒河沙等の諸仏如来に、共に其の功徳を讃歎し称せらるることを為ん。」

 爾時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、


  我今僧中にして説く 阿難持法者は
  当に諸仏を供養して 然る後に正覚を成ずべし
  号をば 山海慧自在通王仏と曰はん
  其国土清浄にして 常立勝幡と名けん


  諸の菩薩を教化すること 其数恒沙の如くならん
  仏大威徳有して 名聞十方に満ち
  寿命量有ること無けん 衆生を愍むを以ての故に
  正法寿命に倍し 像法復是れに倍せん


  恒河沙等の如き 無数の諸の衆生
  此仏の法の中に於て 仏道の因縁を種えん

 


 爾時、会中の新発意の菩薩八千人あり。咸(ことごと)く是念を作さく、「我等は尚諸の大菩薩の是の如き記を得ることを聞かず。何の因縁有りてか諸の声聞、是の如き決を得る。」

 爾時、世尊、諸の菩薩の心の所念を知ろしめして、之に告げて曰はく、「諸の善男子、我と阿難とは、ともに等しく空王仏の所に於て、同時に阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。阿難は常に多聞を楽い、我は常に勤めて精進す。是故に我は、已に阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。而るに阿難は我が法を護持し、亦将来の諸仏の法蔵を護りて、諸の菩薩衆を教化し成就せん。其本願是の如し。故に斯の記を獲。」

 阿難面(まのあた)り仏前に於て、自ら授記及び国土の荘厳を聞き、所願具足し、心大いに歓喜して未曾有なることを得たり。即時に過去の無量千万億の諸仏の法蔵を憶念するに、通達無碍なること今聞く所の如し。亦本願を識りぬ。

 爾時、阿難、偈を説きて言さく、

 


  世尊は甚だ希有なり 我をして過去の
  無量の諸仏の法を念ぜしめたまふこと 今日聞く所の如し
  我今復疑無くして 仏道に安住しぬ
  方便もて侍者と為り 諸仏の法を護持せん

 


  爾時に仏、羅睺羅に告げたまはく、「汝、来世に於て当に作仏することを得べし、蹈七宝華如来 応供 正遍知 明行足 善逝 世間解 無上士 調御丈夫 天人師 仏 世尊と号けん。当に十世界微塵等数の諸仏如来を供養すべし。常に諸仏の為に而も長子と作ること猶し今の如くならん。是蹈七宝華仏の国土の荘厳、寿命の劫数、所化の弟子、正法、像法、亦山海慧自在通王如来の如くにして異ること無けん。亦此仏の為に而も長子と作らん。是れを過ぎて已後、当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」

 爾時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 


  我太子為りし時 羅睺は長子と為り
  我今仏道を成ずれば 法を受けて法子と為る
  未来世の中に於て 無量億の仏を見たてまつりて
  皆其長子と為りて 一心に仏道を求めん


  羅睺羅の密行は 唯我のみ能く之を知れり
  現に我が長子と為りて 以て諸の衆生に示す
  無量億千万 功徳数ふべからず
  仏法に安住して 以て無上道を求む

 


 爾時、世尊、学無学の二千人を見たまふに、其意柔軟に、寂然清浄にして、一心に仏を観たてまつる。

 仏、阿難に告げたまはく、「汝、是学無学の二千人を見るや不や。」「唯然なり、已に見る。」「阿難、是の諸人等は、当に五十世界微塵数の諸仏如来を供養し、恭敬し、尊重し、法蔵を護持し、末後に同時に十方の国に於て各成仏することを得べし。皆同じく一号にして、名けて宝相如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と曰はん。寿命一劫ならん。国土の荘厳、声聞、菩薩、正法、像法、皆悉く同等ならん。」

 爾時、世尊、重ねて此義を宣べんと欲して、偈を説きて言はく、

 


  是二千の声聞 今我が前に於て住せる
  悉く皆記を与え授く 未来に当に成仏すべし
  供養したてまつる所の諸仏は 上に説ける塵数の如くならん
  其法蔵を護持して 後に当に正覚を成ずべし


  各十方の国に於て 悉く同じく一名号ならん
  倶時に道場に坐して 以て無上の慧を証し
  皆名けて宝相と為さん。 国土及び弟子
  正法と像法と 悉く等しくして異ること有ること無けん


  咸く諸の神通を以て 十方の衆生を度し
  名聞普く周遍して 漸く涅槃に入らん

 


 爾時、学無学の二千人、仏の授記を聞きたてまつり、歓喜踊躍して、偈を説きて言さく、

 


  世尊は慧の燈明なり 我授記の音を聞きたてまつりて
  心に歓喜充満せり 甘露をもて潅(そそ)がるるが如し