無量義経徳行品第一〔▽一頁〕
                                              蕭斉天竺三蔵曇摩伽陀耶舎訳
 
 是の如く我聞けり。一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に在したまふ。
 大比丘衆万二千人と倶なりき。菩薩摩訶薩八万人あり。天・龍・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩K羅伽あり。
諸の比丘・比丘尼及び優婆塞・優婆夷も倶なり。大転輪王・小転輪王・金輪・銀輪・諸輪の王・国王・王子・国臣・国民・
国士・国女・国大長者、各眷属百千万数にして自ら圍遶せると、仏所に来詣して頭面に足を礼し、遶ること百千匝して、
香を焼き華を散じ、種々に供養すること已って、退いて一面に坐す。
 其の菩薩の名を、文殊師利法王子・大威徳蔵法王子・無憂蔵法王子・大弁蔵法王子・弥勒菩薩・導首菩薩・薬王菩薩・
薬上菩薩・華幢菩薩・華光幢菩薩・陀羅尼自在王菩薩・観世音菩薩・大勢至菩薩・常精進菩薩・宝印首菩薩・宝積菩薩・
宝杖菩薩・越三界菩薩・毘摩尢菩薩・香象菩薩・大香象菩薩・師子吼王菩薩・師子遊戯世菩薩・師子奮迅菩薩・
師子精進菩薩・勇鋭力菩薩・師子威猛伏菩薩・荘厳菩薩・大荘厳菩薩という。
 是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり。是の諸の菩薩、皆是れ法身の大士ならざることなし。
戒・定・慧・解脱・解脱知見の成就せる所なり。其の心禅寂にして、常に三昧に在って、恬安憺泊に無為無欲なり。
顛倒乱想、復入ることを得ず。静寂清澄に志玄虚漠なり。之を守って動ぜざること億百千劫、無量の法門悉く現在前せり。
大智慧を得て諸法を通達し、性相の真実を暁了し分別するに、有無・長短、明現顕白なり。
 又善く諸の根性欲を知り、陀羅尼・無碍弁才を以て、諸仏の転法輪、随順して能く転ず。微H先ず堕ちて以て欲塵を淹し、
涅槃の門を開き解脱の風を扇いで世の悩熱を除き法の清涼を致す。次に甚深の十二因縁を降らして、
用て無明・老・病・死等の猛盛熾然なる苦聚の日光に灑ぎ、爾して乃ち洪に無上の大乗を注いで、
衆生の諸有の善根を潤漬し、善の種子を布いて功徳の田に遍じ、普く一切をして菩提の萌を発さしむ。
智慧の日月方便の時節、大乗の事業を扶蔬増長して、衆をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成じ、常住の快楽、
微妙真実に、無量の大悲、苦の衆生を救わしむ。是れ諸の衆生の真善知識、是れ諸の衆生の大良福田、
是れ諸の衆生の請せざるの師、是れ諸の衆生の安穏の楽処・救処・護処・大依止処なり。処処に衆生の為に
大良導師・大導師と作る。能く衆生の盲せるが為には而も眼目を作し、聾 ?(ぎ)唖の者には耳・鼻・舌を作し、
諸根毀欠せるをば能く具足せしめ、顛狂荒乱なるには大正念を作さしむ。船師・大船師なり、群生を運載し、
生死の河を度して涅槃の岸に置く。医王・大医王なり、病相を分別し薬性を暁了して、病に随って薬を授け、
衆をして薬を服せしむ。調御・大調御なり、諸の放逸の行なし。猶お象馬師の能く調うるに調わざることなく、
師子の勇猛なる、威、衆獣を伏して沮壊すべきこと難きがごとし。
 菩薩の諸波羅蜜に遊戯し、如来の地に於て堅固にして動ぜず、願力に安住して広く仏国を浄め、
久しからずして阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得べし是の諸の菩薩摩訶薩皆斯の如き不思議の徳あり。
 其の比丘の名を、大智舎利弗・神通目健連・慧命須菩提・摩訶迦旃延・弥多羅尼子・富楼那・阿若N陳如・
天眼阿那律・持律優婆離・侍者阿難・仏子羅雲・優波難佗・離波多・劫賓那・薄拘羅・阿周陀・莎伽陀・頭陀大迦葉・
優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉という。是の如き等の比丘万二千人あり。皆阿羅漢にして、諸の結漏を尽くして
復縛著なく、真正解脱なり。
 爾の時に大荘厳菩薩摩訶薩、遍く衆の坐して各定意なるを観じ已って、衆中の八万の菩薩摩訶薩と倶に、
座より而も起って仏所に来詣し、頭面に足を礼し繞ること百千匝して、天華・天香を焼散し、天衣・天瓔珞・天無価宝珠、
上空の中より旋転して来下し、四面に雲のごとく集って而も仏に献る。天厨・天鉢器に天百味充満盈溢せる、
色を見香を聞ぐに自然に飽足す。天幢・天旛・天軒蓋・天妙楽具処処に安置し、天の伎楽を作して仏を娯楽せしめたてまつり、
即ち前んで胡跪し合掌し、一心に倶共に声を同じゅうして、偈を説いて讃めて言さく、
 大なる哉大悟大聖主、垢なく染なく所著なし。天人象馬の調御師、道風徳香一切に薫じ、智恬かに情泊かに慮凝静なり。
意滅し識亡して心亦寂なり。永く夢妄の思想念を断じて、復諸大陰入界なし。其の身は有に非ず亦無に非ず、
因に非ず縁に非ず自他に非ず、方に非ず円に非ず短長に非ず、出に非ず没に非ず生滅に非ず、造に非ず起に非ず為作に非ず、
坐に非ず臥に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、
彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種々の色に非ず。戒・定・慧・解知・見より生じ、
三昧・六通・道品より発し、慈悲・十力・無畏より起り衆生善業の因縁より出でたり。
 示して丈六紫金の暉を為し、方整照曜として甚だ明徹なり。毫相月のごとく旋り項に日の光あり。
旋髪紺青にして頂に肉髻あり。浄眼明鏡のごとく上下にまじろぎ、眉しょう紺舒に方しき口頬なり。唇舌赤好にして丹華の若く、
白歯の四十なる猶お珂雪のごとし。額広く鼻修く面門開け、胸に万字を表して師子の臆なり。手足柔軟にして千輻を具え、
腋掌合縵あって内外に握れり。臂修肘長に指直く繊し。皮膚細軟にして毛右に旋れり。踝膝露現し陰馬蔵にして、
細筋鎖骨鹿膊脹なり。表裏映徹し浄くして垢なし。濁水も染むるなく塵を受けず、是の如き等の相三十二あり。
八十種好見るべきに似たり。而も実には相非相の色なし。一切の有相眼の対絶せり。無相の相にして有相の身なり。
衆生身相の相も亦然なり。能く衆生をして歓喜し礼して、心を投じ敬を表して慇懃なることを成ぜしむ。
是れ自高我慢の除こるに因って、是の如き妙色の躯を成就したまえり。今我等八万の衆、倶に皆稽首して咸く、
善く思相心意識を滅したまえる、象馬調御無著の聖に帰命したてまつる。
稽首して法色身、戒・定・慧・解・知見聚に帰依したてまつる。稽首して妙種相に帰依したてまつる。
稽首して難思議に帰依したてまつる。梵音雷震のごとく響八種あり。微妙清浄にして甚だ深遠なり。
四諦・六度・十二縁、衆生の心業に随順して転じたもう。若し聞くことあるは意開けて、
無量生死の衆結断せざることなし。聞くことあるは或は須陀おん、斯陀・阿那・阿羅漢、無漏無為の縁覚処、
無生無滅の菩薩地を得、或は無量の陀羅尼、無碍の楽説大弁才を得て、甚深微妙の偈を演説し、
遊戯して法の清渠に澡浴し、或は躍り飛騰して神足を現じ、水火に出没して身自由なり。
如来の法輪相是の如し。清浄無辺にして思議し難し。我等咸く復共に稽首して、
法輪転じたもうに時を以てするに帰命したてまつる。稽首して梵音声に帰依したてまつる。
稽首して縁・諦・度に帰依したてまつる。世尊往昔の無量劫に、勤苦に衆の徳行を修習して、
我人天龍神王の為にし、普く一切の諸の衆生に及ぼしたまえり。能く一切の諸の捨て難き、
財宝妻子及び国城を捨てて、法の内外に於て悋む所なく、頭目髄脳悉く人に施せり。
諸仏の清浄の禁を奉持して、乃至命を失えども毀傷したまわず。若し人刀杖をもって来って害を加え、
悪口罵辱すれども終に瞋りたまわず、劫を歴て身を挫けども惓惰したまわず、昼夜に心を摂めて常に禅にあり、
遍く一切の衆の道法を学して、智慧深く衆生の根に入りたまえり。是の故に今自在の力を得て、
法に於て自在に法王と為りたまえり。我復咸く共倶に稽首して、能く諸の勤め難きを勤めたまえるに帰依したてまつる。
 
 
無量義経説法品第二〔▽一三頁〕
 
 爾の時に大荘厳菩薩摩訶薩、八万の菩薩摩訶薩と、是の偈を説いて仏を讃めたてまつることを已って、
倶に仏に白して言さく、世尊、我等八万の菩薩の衆、今者如来の法の中に於て、諮問する所あらんと欲す。
不審、世尊愍聴を垂れたまいなんや不や。
 仏、大荘厳菩薩及び八万の菩薩に告げたまわく、善哉善哉、善男子、善く是れ時なることを知れり、
汝が所問を恣にせよ。如来久しからずして当に般涅槃すべし。涅槃の後も、普く一切をして復余の疑無からしめん。
何の所問をか欲する、便ち之を説くべし。
 是に大荘厳菩薩、八万の菩薩と、即ち共に声を同じゅうして仏に白して言さく、世尊、菩薩摩訶薩疾く
阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得んと欲せば、応当に何等の法門を修行すべき、何等の法門か能く
菩薩摩訶薩をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしむるや。仏、大荘厳菩薩及び八万の菩薩に告げて言わく、
善男子、一の法門あり、能く菩薩をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得せしむ。
若し菩薩あって是の法門を学せば、則ち能く阿耨多羅三藐三菩提を得ん。世尊、是の法門とは号を何等と字くる、
其の義云何、菩薩云何が修行せん。
 仏の言わく、善男子、是の一の法門をば名けて無量義と為す。菩薩、無量義を修学することを得んと欲せば、
応当に一切の諸法は自ら本来今、性相空寂にして大無く小無く、生無く滅無く、住に非ず動に非ず、進ならず退ならず、
猶し虚空の如く二法あることなしと観察すべし。而るに諸の衆生、虚妄もて是は此是は彼、是は得是は失と横計して、
不善の念を起し衆の悪業を造り六趣に輪廻し、諸の苦毒を受け、無量億劫にも自ら出ずること能わず。
菩薩摩訶薩、是の如く諦かに観じて、憐愍の心を生じ大慈悲を発して将に救抜せんと欲し、又復深く一切の諸法に入れ。
法の相是の如くして是の如き法を生ず。法の相是の如くして是の如き法を住す。法の相是の如くして是の如き法を異す。
法の相是の如くして是の如き法を滅す。法の相是の如くして能く悪法を生ず。法の相是の如くして能く善法を生ず。
住・異・滅も亦復是の如し。菩薩是の如く四相の始末を観察して悉く遍く知り已って、
次に復諦かに一切の諸法は念念に住せず新新に生滅すと観じ、復即時に生・住・異・滅すと観ぜよ。
是の如く観じ已って衆生の諸の根性欲に入る。性欲無量なるが故に説法無量なり、説法無量なるが故に義も亦無量なり。
無量義とは一法より生ず。其の一法とは即ち無相也。是の如き無相は、相なく、相ならず、相ならずして相なきを
名けて実相とす。菩薩摩訶薩、是の如き真実の相に安住し已って、発する所の慈悲、明諦にして虚しからず。
衆生の所に於て真に能く苦を抜く。苦既に抜き已って、復為に法を説いて、諸の衆生をして快楽を受けしむ。
 善男子、菩薩若し能く是の如く一切の法門無量義を修せん者、必ず疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得ん。
善男子、是の如き甚深無上大乗無量義経は、文理真正に尊にして過上なし。三世の諸仏の共に守護したもう所なり。
衆魔群道、得入することあることなく、一切の邪見生死に壊敗せられず。是の故に善男子、菩薩摩訶薩若し疾く
無上菩提を成ぜんと欲せば、応当に是の如き甚深無上大乗無量義経を修学すべし。
 爾の時に大荘厳菩薩、復仏に白して言さく、世尊、世尊の説法不可思議なり。衆生の根性亦不可思議なり。
法門解脱亦不可思議なり。我等、仏の所説の諸法に於て復疑難なけれども、而も諸の衆生迷惑の心を生ぜんが故に、
重ねて世尊に諮いたてまつる。如来の得道より已来四十余年、常に衆生の為に諸法の四相の義・苦の義・空の義・
無常・無我・無大・無小・無生・無滅・一相・無相・法性・法相・本来空寂・不来・不去・不出・不没を演説したもう。
若し聞くことある者は、或はu法・頂法・世第一法・須陀P果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果・辟支仏道を得、
菩提心を発し、第一地・第二地・第三地に登り、第十地に至りき。往日説きたもう所の諸法の義と今説きたもう所と、
何等の異ることあれば、而も甚深無上大乗無量義経のみ、菩薩修行せば必ず疾く無上菩提を成ずることを得んと言う、
是の事云何。唯願わくば世尊、一切を慈哀して広く衆生の為に而も之を分別し、
普く現在及び未来世に法を聞くことあらん者をして、余の疑網無からしめたまえ。
 是に仏、大荘厳菩薩に告げたまわく、善哉善哉、大善男子、能く如来に是の如き甚深無上大乗微妙の義を問えり。
当に知るべし汝能く利益する所多く、人天を安楽し苦の衆生を抜く。真の大慈悲なり、信実にして虚しからず。
是の因縁を以て、必ず疾く無上菩提を成ずることを得ん。亦一切の今世・来世の諸有の衆生をして、
無上菩提を成ずることを得せしめん。
 善男子、我先に道場菩提樹下に端坐すること六年にして、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。
仏眼を以て一切の諸法を観ずるに、宣説すべからず。所以は何ん、諸の衆生の性欲不同なることを知れり。
性欲不同なれば種種に法を説きき。種種に法を説くこと方便力を以てす。四十余年には未だ真実を顕さず。
是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず。
 善男子、法は譬えば水の能く垢穢を洗うに、若しは井、若しは池、若しは江、若しは河、渓・渠・大海、
皆悉く能く諸有の垢穢を洗うが如く、其の法水も亦復是の如し、能く衆生の諸の煩悩の垢を洗う。
 善男子、水の性は是れ一なれども江・河・井・池・渓・渠・大海、各各別異なり。其の法性も亦復是の如し、
塵労を洗除すること等しくして差別なけれども、三法・四果・二道不一なり。
 善男子、水は倶に洗うと雖も而も井は池に非ず、池は江河に非ず、渓渠は海に非ず。
如来世雄の法に於て自在なるが如く、所説の諸法も亦復是の如し、初・中・後の説、皆能く衆生の煩悩を洗除すれども、
而も初は中に非ず、而も中は後に非ず。初・中・後の説、文辞一なりと雖も而も義各異なり。
 善男子、我樹王を起って波羅奈・鹿野園の中に詣って、阿若拘隣等の五人の為に四諦の法輪を転ぜし時も、
亦諸法は本より来空寂なり。代謝して住せず念念に生滅すと説き、中間此及び処処に於て、
諸の比丘竝に衆の菩薩の為に、十二因縁・六波羅蜜を弁演し宣説し、亦諸法は本より来空寂なり、
代謝して住せず念念に生滅すと説き、今復此に於て、大乗無量義経を演説するに、亦諸法は本より来空寂なり、
代謝して住せず念念に生滅すと説く。善男子、是の故に初説・中説・後説、文辞是れ一なれども而も義別異なり。
義異なるが故に衆生の解異なり。解異なるが故に得法・得果・得道亦異なり。
 善男子。初め四諦を説いて声聞を求むる人の為にせしかども、而も八億の諸天来下して法を聴いて菩提心を発し、
中ろ処処に於て、甚深の十二因縁を演説して辟支仏を求むる人の為にせしかども、而も無量の衆生菩提心を発し、
或は声聞に住しき。次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説いて、菩薩の歴劫修行を宣説せしかども、
而も百千の比丘・万億の人天・無量の衆生、須陀おん・斯陀含・阿那含・阿羅漢果、辟支仏因縁の法の中に住することを得。
善男子、是の義を以ての故に、故に知んぬ説は同じけれども而も義は別異なり。義異なるが故に衆生の解異なり。
解異なるが故に得法・得果・得道亦異なり。是の故に善男子、我道を得て初めて起って法を説きしより、
今日、大乗無量義経を演説するに至るまで、未だ曾て苦・空・無常・無我・非真・非仮・非大・非小・本来生ぜず今亦滅せず、
一相・無相・法相・法性・不来・不去なり、而も諸の衆生四相に遷さるると説かざるにあらず。
 善男子、是の義を以ての故に、一切の諸仏は二言あることなく、能く一音を以て普く衆の声に応じ、
能く一身を以て百千万億那由他無量無数恒河沙の身を示し、一一の身の中に又若干百千万億那由他阿僧祇恒河沙種種の類形を示し、
一一の形の中に又若干百千万億那由他阿僧祇恒河沙の形を示す。善男子、是れ則ち諸仏の不可思議甚深の境界なり。
二乗の知る所に非ず、亦十地の菩薩の及ぶ所に非ず、唯仏と仏とのみ乃し能く究了したまえり。
 善男子、是の故に我説く、微妙甚深無上大乗無量義経は、文理真正なり、尊にして過上なし。
三世の諸仏の共に守護したもう所、衆魔外道、得入すること有ることなし。一切の邪見生死に壊敗せられずと。
菩薩摩訶薩、若し疾く無上菩提を成ぜんと欲せば、当応に是の如き甚深無上大乗無量義経を修学すべし。
 仏、是れを説きたもうこと已って、是に三千大千世界六種に震動し、自然に空中より種種の天華・天優鉢羅華・
鉢曇摩華・拘物頭華・分陀利華を雨らし、又無数種種の天香・天衣・天瓔珞・天無価の宝を雨らして上空の中より旋転して来下し、
仏及び諸の菩薩・声聞・大衆に供養す。天厨・天鉢器に天百味食充満盈溢し、天幢・天旛・天軒蓋・天妙楽具処処に安置し、
天の妓楽を作して仏を歌歎したてまつる。
 又復六種に東方恒河沙等の諸仏の世界を震動し、亦天華・天香・天衣・天瓔珞・天無価宝・天厨・天鉢器・
天百味・天幢・天旛・天軒蓋・天妙楽具を雨らし、天の妓楽を作して彼の仏及び彼の菩薩・声聞・大衆を歌歎したてまつる。
南西北方四維上下も亦復是の如し。
 是に衆中の三万二千の菩薩摩訶薩は無量義三昧を得、三万四千の菩薩摩訶薩は無数無量の陀羅尼門を得、
能く一切三世の諸仏の不退の法輪を転ず。其の諸の比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷・天・龍・夜叉・乾闥婆・
阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩K羅伽・大転輪王・小転輪王・銀輪・鉄輪・諸輪の王・国王・王子・国臣・国民・
国士・国女・国大長者及び諸の眷属百千衆倶に、仏如来の是の経を説きたもうを聞きたてまつる時、
或は煖法・頂法・世間第一法・須陀おん果・斯陀含果・阿那含果・阿羅漢果・辟支仏果を得、又菩薩の無生法忍を得、
又一陀羅尼を得、又二陀羅尼を得、又三陀羅尼を得、又四陀羅尼・五・六・七・八・九・十陀羅尼を得、
又百千万億陀羅尼を得、又無量無数恒河沙阿僧祇陀羅尼を得て、皆能く随順して不退転の法輪を転ず。
無量の衆生は阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。
 
 
無量義経十功徳品第三〔▽二九頁〕
 
 爾の時に大荘厳菩薩摩訶薩、復仏に白して言さく、世尊、世尊是の微妙甚深無上大乗無量義経を説きたもう。
真実甚深甚深甚深なり。所以は何ん、此の衆の中に於て、諸の菩薩摩訶薩及び諸の四衆・天・龍・鬼神・
国王・臣民・諸有の衆生、是の甚深無上大乗無量義経を聞いて、陀羅尼門・三法・四果・菩提の心を獲得せざることなし。
当に知るべし、此の法は文理真正なり、尊にして過上なし。三世諸仏の守護したもう所なり。
衆魔群道、得入することあることなし。一切の邪見生死に壊敗せられず。
所以は何ん、一たび聞けば能く一切の法を持つが故に。
 若し衆生あって是の経を聞くことを得るは、則ち為れ大利なり。所以は何ん、若し能く修行すれば必ず疾く無上菩提を
成ずることを得ればなり。
 其れ衆生あって聞くことを得ざる者は、当に知るべし、是等は為れ大利を失えるなり。無量無辺不可思議阿僧祇劫を
過ぐれども、終に無上菩提を成ずることを得ず。所以は何ん、菩提の大直道を知らざるが故に、
険径を行くに留難多きが故に。
 世尊、是の経典は不可思議なり。唯願わくは世尊、広く大衆の為に慈哀して是の経の甚深不思議の事を敷演したまえ。
世尊、是の経典は何れの所よりか来たり、去って何れの所にか至り、住って何れの所にか住する。
乃ち是の如き無量の功徳不思議の力あって、衆をして疾く阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめたもうや。
 爾の時に世尊、大荘厳菩薩摩訶薩に告げて言わく、善哉善哉、善男子、是の如し是の如し、汝が説く所の如し。
善男子、我是の経を説くこと甚深甚深真実甚深なり。所以は何ん、衆をして疾く無上菩提を成ぜしむるが故に、
一たび聞けば能く一切の法を持つが故に、諸の衆生に於て大に利益するが故に、大直道を行じて留難なきが故に。
善男子、汝、是の経は何れの所よりか来り、去って何れの所にか至り、住って何れの所にか住すると問わば、
当に善く諦かに聴くべし。善男子、是の経は本諸仏の室宅の中より来り、去って一切衆生の発菩提心に至り、
諸の菩薩所行の処に住す。善男子、是の経は是の如く来り是の如く去り是の如く住したまえり。是の故に、
此の経は能く是の如き無量の功徳不思議の力あって、衆をして疾く無上菩提を成ぜしむ。
 善男子、汝、寧ろ是の経に復十の不思議の功徳力あるを聞かんと欲するや不や。大荘厳菩薩の言さく、
願わくは聞きたてまつらんと欲す。仏の言わく、善男子、第一に、是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして
菩提心を発さしめ、慈仁なき者には慈心を起さしめ、殺戮を好む者には大悲の心を起さしめ、
嫉妬を生ずる者には随喜の心を起さしめ、愛著ある者には能捨の心を起さしめ、諸の慳貪の者には布施の心を起さしめ、
きょう慢多き者には持戒の心を起さしめ、瞋恚盛んなる者には忍辱の心を起さしめ、
懈怠を生ずる者には精進の心を起さしめ、諸の散乱の者には禅定の心を起さしめ、
愚痴多き者には智慧の心を起さしめ、未だ彼を度すること能わざる者には彼を度する心を起さしめ、
十悪を行ずる者には十善の心を起さしめ、有為を楽う者には無為の心を志さしめ、退心ある者には不退の心を作さしめ、
有漏を為す者には無漏の心を起さしめ、煩悩多き者には除滅の心を起さしむ。
善男子、是れを是の経の第一の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第二に是の経の不可思議の功徳力とは、若し衆生あって是の経を聞くことを得ん者、
若しは一転、若しは一偈乃至一句もせば、則ち能く百千億の義に通達して、無量数劫にも受持する所の法を
演説すること能わじ。所以は何ん、其れ是の法は義無量なるを以ての故に。
 善男子、是の経は譬えば一の種子より百千万を生じ、百千万の中より一一に復百千万数を生じ、
是の如く展転して乃至無量なるが如く、是の経典も亦復是の如し。一法より百千の義を生じ、
百千の義の中より一一に復百千万数を生じ、是の如く展転して乃至無量無辺の義あり。
是の故に此の経を無量義と名く。善男子、是れを是の経の第二の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第三に是の経の不可思議の功徳力とは、若し衆生あって是の経を聞くことを得て、
若しは一転、若しは一偈乃至一句もせば、百千万億の義に通達し已って、煩悩ありと雖も煩悩なきが如く、
生死に出入すれども怖畏の想なけん。諸の衆生に於て憐愍の心を生じ、一切の法に於て勇健の想を得ん。
壮んなる力士の諸有の重き者を能く担い能く持つが如く、是の持経の人も亦復是の如し。
能く無上菩提の重き宝を荷い、衆生を担負して生死の道を出す。未だ自ら度すること能わざれども、
已に能く彼を度せん。猶お船師の身重病に嬰り、四体御まらずして此の岸に安止すれども好き堅牢の舟船
常に諸の彼を度する者の具を弁ぜることあるを、給い与えて去らしむるが如く、是の持経者も亦復是の如し。
五道諸有の身百八の重病に嬰り、恒常に相纏わされて無明・老・死の此の岸に安止せりと雖も、
而も堅牢なる此の大乗経無量義の能く衆生を度することを弁ずることあるを、説の如く行ずる者は、
生死を度することを得るなり。善男子、是れを是の経の第三の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第四に是の経の不可思議の功徳力とは、若し衆生あって是の経を聞くことを得て、若しは一転、
若しは一偈乃至一句もせば、勇健の想を得て、未だ自ら度せずと雖も而も能く他を度せん。
諸の菩薩と以て眷属と為り、諸仏如来、常に是の人に向って而も法を演説したまわん。
是の人聞き已って悉く能く受持し、随順して逆らわじ。転た復人の為に宜しきに随って広く説かん。
 善男子、是の人は譬えば国王と夫人と、新たに王子を生ぜん。若しは一日若しは二日若しは七日に至り、
若しは一月若しは二月若しは七月に至り、若しは一歳若しは二歳若しは七歳に至り、
復国事を領理すること能わずと雖も已に臣民に宗敬せられ、諸の大王の子を以て伴侶とせん、
王及び夫人、愛心偏に重くして常に与みし共に語らん。所以は何ん、稚小なるを以ての故にといわんが如く、
善男子、是の持経者も亦復是の如し。諸仏の国王と是の経の夫人と和合して、共に是の菩薩の子を生ず。
若し菩薩是の経を聞くことを得て、若しは一句、若しは一偈、若しは一転、若しは二転、若しは十、
若しは百、若しは千、若しは万、若しは億万・恒河沙無量無数転せば、復真理の極を体ること能わずと雖も、
復三千大千の国土を震動し、雷奮梵音をもって大法輪を転ずること能わずと雖も、
已に一切の四衆・八部に宗み仰がれ、諸の大菩薩を以て眷属とせん。深く諸仏秘密の法に入って、
演説する所違うことなく失なく、常に諸仏に護念し慈愛偏に覆われん、新学なるを以ての故に。
善男子、是れを是の経の第四の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第五に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、
其れ是の如き甚深無上大乗無量義経を受持し読誦し書写することあらん。是の人復具縛煩悩にして、
未だ諸の凡夫の事を遠離すること能わずと雖も、而も能く大菩薩の道を示現し、一日を演べて以て百劫と為し、
百劫を亦能く促めて一日と為して、彼の衆生をして歓喜し信伏せしめん。善男子、是の善男子・善女人、
譬えば龍子始めて生れて七日に、即ち能く雲を興し亦能く雨を降らすが如し。
善男子、是れを是の経の第五の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第六に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、
是の経典を受持し読誦せん者は、煩悩を具せりと雖も、而も衆生の為に法を説いて、
煩悩生死を遠離し一切の苦を断ずることを得せしめん。衆生聞き已って修行して得法・得果・得道すること、
仏如来と等しくして差別なけん。譬えば王子復稚小なりと雖も、若し王の巡遊し及び疾病するに、
是の王子に委せて国事を領理せしむ。王子是の時大王の命に依って、法の如く群僚百官を教令し正化を宣流するに、
国土の人民各其の要に随って、大王の治するが如く等しくして異ることあることなきが如く、
持経の善男子・善女人も亦復是の如し。若しは仏の在世若しは滅度の後、
是の善男子未だ初不動地に住することを得ずと雖も、仏の是の如く教法を用説したもうに依って而も之を敷演せんに、
衆生聞き已って一心に修行せば、煩悩を断除し、得法・得果・乃至得道せん。
善男子、是れを是の経の第六の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第七に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、仏の在世若しは滅度の後に於て、
是の経を聞くことを得て、歓喜し信楽し希有の心を生じ、受持し読誦し書写し解説し説の如く修行し、
菩提心を発し、諸の善根を起し、大悲の意を興して、一切の苦悩の衆生を度せんと欲せば、
未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も、六波羅蜜自然に在前し、即ち是の身に於て無生法忍を得、
生死・煩悩一時に断壊して菩薩の第七の地に昇らん。
 譬えば健やかなる人の王の為に怨を除くに、怨既に滅し已りなば王大に歓喜して、
賞賜するに半国の封悉く以て之を与えんが如く、持経の善男子・善女人も亦復是の如し。
諸の行人に於て最も為れ勇健なり。六度の法宝求めざるに自ら至ることを得たり。
生死の怨敵自然に散壊し、無生忍の半仏国の宝を証し、封の賞あって安楽ならん。
善男子、是れを是の経の第七の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第八に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、
人あって能く是の経典を得たらん者は、敬信すること仏身を視たてまつるが如く等しくして異ることなからしめ、
是の経を愛楽し、受持し読誦し書写し頂戴し、法の如く奉行し、戒・忍を堅固にし、兼ねて檀度を行じ、
深く慈悲を発して、此の無上大乗無量義経を以て、広く人の為に説かん。若し人先より来、
都べて罪福あることを信ぜざる者には、是の経を以て之を示して、種種の方便を設け強て化して信ぜしめん。
経の威力を以ての故に、其の人の信心を発し炊然として回することを得ん。信心既に発して勇猛精進するが故に、
能く是の経の威徳勢力を得て、得道・得果せん。是の故に善男子・善女人、化を蒙る功徳を以ての故に、
男子・女人即ち是の身に於て無生法忍を得、上地に至ることを得て、諸の菩薩と以て眷属と為りて、
速かに能く衆生を成就し、仏国土を浄め、久しからずして無上菩提を成ずることを得ん。
善男子、是れを是の経の第八の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第九に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、
是の経を得ることあって歓喜踊躍し、未曾有なることを得て、受持し読誦し書写し供養し
、広く衆人の為に是の経の義を分別し解説せん者は、即ち宿業の余罪重障一時に滅尽することを得、
便ち清浄なることを得て、大弁を逮得し、次第に諸の波羅蜜を荘厳し、諸の三昧・首楞厳三昧を獲、大総持門に入り、
勤精進力を得て速かに上地に越ゆることを得、善く分身散体して十方の国土に遍じ、
一切二十五有の極苦の衆生を抜済して悉く解脱せしめん。是の故に是の経に此の如きの力います。
善男子、是れを是の経の第九の功徳不思議の力と名く。
 善男子、第十に是の経の不可思議の功徳力とは、若し善男子・善女人、若しは仏の在世若しは滅度の後に、
若し是の経を得て大歓喜を発し、希有の心を生じ、既に自ら受持し読誦し書写し供養し説の如く修行し、
復能く広く在家出家の人を勧めて、受持し読誦し書写し供養し解説し、法の如く修行せしめん。
既に余人をして是の経を修行せしむる力の故に、得道・得果せんこと、皆是の善男子・善女人の慈心をもって
勤ろに化する力に由るが故に、是の善男子・善女人は即ち是の身に於て便ち無量の諸の陀羅尼門を逮得せん。
凡夫地に於て、自然に初めの時に能く無数阿僧祇の弘誓大願を発し、深く能く一切衆生を救わんことを発し、
大悲を成就し、広く能く衆の苦を抜き、厚く善根を集めて一切を饒益せん。而して法の沢を演べて洪に枯涸に潤おし、
能く法の薬を以て諸の衆生に施し、一切を安楽し、漸見超登して法雲地に住せん。恩沢普く潤し慈被すること外なく、
苦の衆生を摂して道跡に入らしめん。是の故に此の人は、久しからずして阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得ん。
善男子、是れを是の経の第十の功徳不思議の力と名く。
 善男子、是の如き無上大乗無量義経は、極めて大威神の力ましまして、尊にして過上なし。
能く諸の凡夫をして皆聖果を成じ、永く生死を離れて皆自在なることを得せしめたもう。
是の故に是の経を無量義と名く。能く一切衆生をして、凡夫地に於て、諸の菩薩の無量の道牙を生起せしめ、
功徳の樹をして欝茂扶蔬増長せしめたもう。是の故に此の経を不可思議の功徳力と号く。
 時に大荘厳菩薩摩訶薩及び八万の菩薩摩訶薩、声を同じゅうして仏に白して言さく、
世尊、仏の所説の如き甚深微妙無上大乗無量義経は、文理真正に、尊にして過上なし。
三世の諸仏の共に守護したもう所、衆魔群道、得入することあることなく、一切の邪見生死に壊敗せられず。
是の故に此の経は乃ち是の如き十の功徳不思議の力います。大に無量の一切衆生を饒益し、
一切の諸の菩薩摩訶薩をして各無量義三昧を得、或は百千陀羅尼門を得せしめ、或は菩薩の諸地・諸忍を得、
或は縁覚・羅漢の四道果の証を得せしめたもう。世尊慈愍して快く我等が為に是の如き法を説いて、
我をして大に法利を獲せしめたもう。甚だ為れ奇特に未曾有也。世尊の慈恩実に報ずべきこと難し。
 是の語を作し已りし、爾の時に三千大千世界六種に震動し、上空の中より復種種の天華・天優鉢羅華・
鉢曇摩華・拘物頭華・分陀利華を雨らし、又無数種種の天香・天衣・天瓔珞・天無価の宝を雨らして、
上空の中より旋転して来下し、仏及び諸の菩薩・声聞・大衆に供養す。天厨・天鉢器に天百味充満盈溢せる、
色を見香を聞くに自然に飽足す。天幢・天幡・天軒蓋・天妙楽具処処に安置し、天の妓楽を作して仏を歌歎す。
 又復六種に東方恒河沙等の諸仏の世界を震動す。亦天華・天香・天衣・天瓔珞・天無価の宝を雨らし、
天厨・天鉢器・天百味、色を見香を聞くに自然に飽足す。天幢・天幡・天軒蓋・天妙楽具処処に安置し、
天の妓楽を作して彼の仏及び諸の菩薩・声聞・大衆を歌歎す。南西北方四維上下も亦復是の如し。
 爾の時に仏、大荘厳菩薩摩訶薩及び八万の菩薩摩訶薩に告げて言わく、
汝等当に此の経に於て深く敬心を起し法の如く修行し、広く一切を化して勤心に流布すべし。
常に当に慇懃に昼夜守護して、諸の衆生をして各法利を獲せしむべし。汝等真に是れ大慈大悲なり。
以て神通の願力を立てて、是の経を守護して疑滞せしむることなかれ。汝、当時に於て必ず広く閻浮提に行ぜしめ、
一切衆生をして見聞し読誦し書写し供養することを得せしめよ。是れを以ての故に、
亦疾く汝等をして速かに阿耨多羅三藐三菩提を得せしめん。
 是の時に大荘厳菩薩摩訶薩、八万の菩薩摩訶薩と即ち座より起って仏所に来詣して、
頭面に足を礼し遶ること百千Rして、即ち前んで胡跪し倶共に声を同じゅうして仏に白して言さく、
世尊、我等快く世尊の慈愍を蒙りぬ。我等が為に是の甚深微妙無上大乗無量義経を説きたもう。
敬んで仏勅を受けて、如来の滅後に於て当に広く是の経典を流布せしめ、
普く一切をして受持し読誦し書写し供養せしむべし、唯願わくは憂慮を垂れたもうことなかれ。
我等当に願力を以て、普く一切衆生をして此の経を見聞し読誦し書写し供養することを得、
是の経の威神の福を得せしむべし。
 爾の時に仏讃めて言わく、善哉善哉諸の善男子、汝等今者真に是れ仏子なり。
弘き大慈大悲をもって深く能く苦を抜き厄を救う者なり。一切衆生の良福田なり。広く一切の為に大良導師と作れり。
一切衆生の大依止処なり。一切衆生の大施主なり。常に法利を以て広く一切に施せと。爾の時に大会皆大に歓喜して、
仏の為に礼を作し、受持して去りにき。
 
無量義経